Vol.13 耳を傾け、とことん向き合う“デカマリ流”子育て〈その2〉
会社経営に多忙な万里子だったが、週末は年子の子どもたちを連れてキャンプに出かけるなど“楽しくて面白い”ことを家族全員で謳歌。“働くお母さん”がまだまだ少なかった時代なのに、子どもたちが小学校高学年になるとPTAの学校新聞の編集まで引き受けて、さまざまな保護者の声に耳を傾ける――。公私共に労を惜しまず全力投球で駆け抜けてきた。
一緒に過ごす時間は少なくても“母の背中を見て育つ”
家族団らんのひと時。中央が万里子、中学生になった青(セイ、左)、そして狩(カリ、右)。二人がお小遣いを出し合って、万里子にパンダのぬいぐるみをプレゼントしてくれた。たとえその後で仕事に戻るとしても、夕食は家政婦さん任せではなく自らの手で作り、子どもたちと一緒に食卓を囲むよう心がけた。1日の出来事を、姉弟で競うように話してくるのに耳を傾ける時間。そんな微笑ましい会話の中、狩(カリ)から「このお小遣いを銀行に預けたら、1年で利息はどれくらいになる?」と、小学生の男の子としては、ちょっと意外な質問が飛び出し万里子を驚かせたことがあった。
「よそのお家とはどうも違うなぁ、と感じながら青(セイ)は母を通して会社経営の様子を静かに見ているようなところがありました。気になることを明確にしていく狩は、お友だちのお母さんからも『うちの養子にして事業を継いでもらいたいのだけど……』と本気で乞われることもあるような子でしたね」
子ども連れでの外食時は“一流のものを堂々と食べ、味を知ることが大切”というモダンな教育を受けたリカルドによってメニュー選びが進められるのだが、彼は度々こんないたずらをした。
「高額なメニューを選んだあとで、リカルドは胸ポケットを押さえるのです。『あっ!今日はお父さん、うっかりしちゃってお札をあまり入れてこなかったなぁ』と。そうすると子どもたちは慌てて、どのメニューなら4人分が足りるかなぁ、と頭を寄せ合って真剣に相談し始める。それからは外食に出かけるたびに『今日はお財布大丈夫?』『このお店はカード使えないみたいだよ』などと、子どもなりに注意を払うようになりました」
父や母の日々の働きぶり、そして家族で交わすふとした会話。子どもたちはさまざまなことを吸収しながら成長していった。
もの作りに夢中になる気質
内気で決して活発ではなく、黙々と絵を描き続けたり、夢中になって本を読んだりしていた少女時代の長女の青。対して弟の狩は、情報を明確に把握して行動。正反対な性格の姉弟だったが、クリエイティブな時間を楽しむ気質は共にもっていた。
「青は時間と手間ひまをかけてものを作るのが上手。狩のほうは手先が器用でレゴのコンテスト・小学生の部で関東代表に選出されたりしました。その帰りに、路肩で実演するひご職人を見て『ひご細工をする人になる!』などと言っていたことも、一時期ありました」
高校2年生、3年生になっても、進路についての話を親のほうからは何もしてこないので、子どもたち自ら芸術系の大学へ海外留学したいと話を切り出すこととなる。
手先が器用だった狩。文化服装学院に在学していた頃に描いたポスター。アルバイトがしたいの? ならばワイエムファッションで
東京松本英語専門学校時代の狩(中央右)。英語劇の舞台での1ショット。「10代も半ばを過ぎ、留学を視野に入れているとなれば、アルバイトがしたいと言い始めますよね。よそで働くならうちの会社でやってみなさいと提案しました。夏休みなど長期のお休みにはワイエムファッションに出勤です。青も狩も、元NHKラジオの英語講師が開校した“校内で日本語を話すと1000円の罰金が課される校則”で当時有名だった『東京松本英語専門学校』にそれぞれ2年通い、本格的に英語を身につけ始め、我が社で通訳のアルバイトなども出来るようになりました。当時ちょうど、私がほとんど日本にいない時期でもあったので、夏休みを利用してタイにて通訳のアルバイト中の青に会う、なんてこともありましたね」。
学友を招いて、自宅で仮装パーティをやったことも。万里子も有名なキャラクターに仮装して参加。さて、どれが万里子かわかるでしょうか?青はロンドンのセントラル・セント・マーチンズへ入り、その後さらに超難関のロイヤル・カレッジ・オブ・アート(英国王立芸術大学院:RCA)に推薦入学を果たす。狩はフランスにまず2年留学してからロンドン・カレッジ・オブ・ファッションへ。姉弟で一緒にロンドンにホームステイしたのはギリシャ人夫妻の素敵な家庭だった。
青がセントラル・セント・マーチンズに在学していた頃。渡英した万里子とともに。RCAの卒業式での青。きものに大学の式服であるアカデミックドレス(ガウン)を羽織った姿でロイヤル・アルバート・ホールの壇上へ。先生方も笑顔で賞賛の拍手。「ホームステイ先のホストファミリー、クリスとリンは、ネパール旅行で知り合った英語塾を日本で経営する人に紹介されたのがご縁の始まり。ロンドンに信頼できるご家庭を得て、クリスのギリシャのネットワークによって多角的に広がる世界に、私も子どもたちも大いに刺激を受けました。ヨーロッパの芸術系の大学では、現場で実践したことが単位と認められるそうで、2人とも在学中から仕事に通じる作品制作を行っていましたね。狩はシェイクスピアの舞台劇や英国ロイヤルバレエ団の衣装としてチュチュのコルセットを製作し、教授の評価を得てアシスタントとして残る選択肢を与えられたりもしたようです」
家族がそれぞれ、東京、タイ、ロンドンをくるくると廻りながら、各自のミッションに邁進し、ワイエムファッションの未来に有用なアイディアを共有していた90年代末。まさに国を跨ぐジェットセッターを地でいく生き方だった。タイやロンドンにオープンしたブティックに多様な国籍の人々が集まり、熱烈なファンとなっていったことにも頷けるというもの。
さて、RCAを優秀な成績で卒業した青は現社長を、そしてロイヤルバレエ団等の衣装で評価された狩が現副社長を務めているワイエムファッション研究所。アートの風を吹き込みつつ前進していくヤッコマリカルドの魅力を次回の連載でも掘り下げます。どうぞお楽しみに。