Vol.16 「歌舞伎フォーラム」で繋がった方々
コロナ禍での数年こそ控えていたものの、万里子は84歳の今も国内海外を問わず数々の出張を精力的にこなしている。実は今でも東京を不在にしている日々が多いのだ。そんな大忙しの日々だけれど、マメに観に行くのが歌舞伎関連の舞台。忙しくても時間は作り出すもの。彼女は魔法を使うかのごとく、巧みに時間を見つけだす。
大ファンで応援していた18代中村勘三郎さんと。パーティでお会いした記念に。観劇するだけにとどまらず、万里子はかつて歌舞伎役者を招いてのトークショーまで企画開催していたことがあるのだ。
本社3階に作ったギャラリーをフル活用
2003年に「
ysh」をラフォーレ原宿にオープンし、それを契機に「ヤッコマリカルド」を神宮前の本社へ移すことにした。
「1階と2階にブティック、その上にギャラリーを置くことにしました。新作をお披露目する展示会を行えるし、写真展などを催すことも可能。青(セイ)がロンドンで知り合った若手アーティストたちに、作品発表の場として利用してもらうのもいいな、と思って」
「YMギャラリー」と名づけたその場所は、営利目的でなく、“情報発信基地”にしたいと考えた。国内外のアーティスト――陶芸家や油絵画家、独立したての写真家などにスペースを提供し、開催中に買い手がついたなら、そのまま全額彼らの利益にした。巷のギャラリーにはなかなか例を見ない太っ腹ぶりである。
「メセナ(芸術・文化支援)活動に本腰を入れたいと、ずっと思っていたのです。場所とチャンスを提供し、費用面でも心配させない。そうすれば芸術家は創作に打ち込めますよね」
YMギャラリーは展示を行うだけでなく、なんと“ライブ要素”まで次第に強めていく。
脇役にスポットを当てたトークショーが大当たり
エッセイストの関 容子さんは歌舞伎役者をインタビューした著書も多く、歌舞伎好きならその本を読んだ方も多いだろう。舞台美術を手がける「サンク・アール」のメンバーで親友の育野雅子を介して、万里子とは古くからの知り合いだった。講談社エッセイ賞を受賞した『花の脇役』、続編の『虹の脇役』が出版されて、万里子はピン!と閃いた。
関 容子さん(右)との出会いで歌舞伎の魅力に引き込まれて。「読めば読むほど面白くて感動したんです。脇役の方々のこぼれ話や、師匠たちとのエピソードがイキイキと書かれていて。彼らを実際に招いてトークショー形式のイベントをYMギャラリーでやってみない? と関さんに話を持ちかけました」
もちろん関さんも大賛成。2か月に1度のペースで、1名の役者×関さんという対談スタイルのトークショーにした。シリーズ化して行うライブ様式のイベントということで「YMフォーラム」と銘打ち、2006年の3月からスタート。「歌舞伎を支える人たち」というタイトルで3年もの間、毎回2時間で開催した。
第1回 | 2006年3月 | 坂東橘太郎(市村橘太郎) | 歌舞伎役者 |
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第2回 | 2006年5月 | 尾上菊十郎 | 歌舞伎役者 |
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第3回 | 2006年7月 | 上村吉弥 | 歌舞伎役者 |
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第4回 | 2006年9月 | 竹本葵太夫 | 歌舞伎義太夫 |
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第5回 | 2006年11月 | 中村小山三 | 歌舞伎役者 |
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第6回 | 2007年3月 | 中村歌江 | 歌舞伎役者 |
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第7回 | 2007年5月 | 片岡市蔵 | 歌舞伎役者 |
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第8回 | 2007年7月 | 松本金吾 | 歌舞伎役者 |
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第9回 | 2007年9月 | 市川新蔵 | 歌舞伎役者 |
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第10回 | 2007年11月 | 坂東三津之助 | 歌舞伎役者 |
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第11回 | 2008年3月 | 中村京蔵 | 歌舞伎役者 |
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第12回 | 2008年5月 | 片岡松之亟 | 歌舞伎役者 |
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第13回 | 2008年7月 | 坂東薪車(市川九團次) | 歌舞伎役者 |
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第14回 | 2008年9月 | 市川団蔵 | 歌舞伎役者 |
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第15回 | 2008年11月 | 坂東彌十郎 | 歌舞伎役者 |
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3年間、合計15回開催したフォーラム「歌舞伎を支える人たち」。登場いただいた役者の一覧。フォーラムの冒頭では万里子が登壇してお客様にご挨拶を。「途中でティータイムも挟みます。おいしい季節の和菓子もちゃんと用意して。役者さんとお客様と一緒にいただくので、場がふわりと和むんです。お話もますます弾みましたね」
長電話や、お漬けもののお裾分けに預かる仲に
脇役といっても、見事な芸で物語の要を担う者ばかり。屋号の名跡を継ぐ生まれではなく、自ら師匠にアタックして、実力と情熱で門下入りしたというだけあって、脇役たちのエピソードは一つひとつ面白い。舞台に立ち、師匠の後見(黒子となり衣装の引き抜きなどを担う)もこなし、師匠の子供が幼い時期ならば子守りもやってのけるのだから。話題豊富で芸達者、どのエピソードも声色豊かに再現されて、客席を沸かせる。
身ぶりを交えて語る小山三さん。フォーラムでは舞台写真も映し出されて。歌舞伎フォーラムは50名限定のイベントだが、役者たちとは事前に打ち合わせを行い、後日あらためて楽しい打ち上げも開いた。律儀な万里子は盆暮れのご挨拶も欠かさない。
「小山三さん(中村小山三:中村屋)は、17代と18代の“2人の勘三郎”についた方で、トークに登壇くださった時は70代でいらっしゃいましたが、その後もずっと“お中元ありがとうね”などと折に触れお電話をくださいました。それがとっても長電話でねぇ。話の尽きない方でしたね」と万里子は振り返る。
歌舞伎の化粧を落とすと少年のように若々しい京蔵さん。会計ソフトウェア「勘定奉行」のCMで現在も活躍中の京蔵さん(中村京蔵:京屋)は、CMではお奉行姿を見せているが、艶やかな芸風の中村雀右衛門に師事した女形である。フランス古典を歌舞伎化したものに自主公演で挑むなど、開拓精神旺盛な役者で、万里子はそちらにもよく足を運ぶ。
声色(身ぶり手ぶり)が天下一品と称される、芸達者な歌江さん。舞台を離れ、素顔のおつきあいが長く続いた方も。「歌江さん(中村歌江:成駒屋)は晩年、四谷に住んでらして、『お漬けものがおいしく漬かったから食べにいらっしゃいよ』なんて連絡くださって、お酒を手土産にお家へよくうかがいました。歌江さんのお兄さんは新東宝のスター俳優出身で『ウルトラセブン』でも活躍された中山昭二さん。至高の女形・中村歌右衛門さんに師事した歌江さんも、素顔の美しい方でしたね」
フォーラムの最終回を締めくくったのは、2022年の大河ドラマでも活躍された坂東彌十郎さん(大和屋)。歌舞伎フォーラムの客席側にいた方々とも、長くおつきあいは続く。大学教授や経営者など知的好奇心旺盛な方が多く、刺激しあう仲だ。女性はヤッコマリカルドの服を素敵に着こなしてくださる方ばかり。
次回は歌舞伎以外のフォーラム活動、そしてどんどん広がる“人々の輪”についてうかがいます。お楽しみに!