Vol.20 女性経営者ならではの“潔さ”
ファッション、それは自分らしく装う愉しみ。ときに華やかに、人によってはクール&シックに。その匙加減は個人個人にあり、だからこそ楽しく自由。では、服作りを担うアパレル業界というフィールドは?
「アパレルは男社会」と、当時を振り返り万里子は言い切る。
1998年頃、ロンドンのオフィスにて。ファッションビジネスには、素材や生産&流通経路の確保、資金の調達という大きなミッションをクリアすることも不可欠。メーカーとしての宿命だ。万里子が会社を設立した頃、それはいずれも“男たちの仕事”だった。男社会のスクラムが組まれ、男だけの領域として、そうではない者には冷たかった。
アパレルという男社会の荒波の中で
まず、服の素材となる布地確保の段階から苦労した。繊維業界は旧来のしきたりが強く、個人で独自の交渉を行うには自由の利かないシステムだと気づかされる。原糸メーカーを探す苦労で悩んでいるより、自ら動いて解決しよう、というのが万里子の流儀。早々に繊維業界のシステムから距離を置き、海外で布地を探し、染色や縫製工場まで整えることを叶えて、ヤッコマリカルドを飛躍させてきた。
タイ進出のきっかけは友人のギーとヘルガ夫妻を通して。「けれど、融資を受けるための交渉は、日本でも海外でも悔しい思いの連続でしたね」
どの金融先でも「女性が何しに来た?」「女性に何の話ができるというんだ?」という態度をとられた。日系銀行の海外支店はことさらに冷たくて高飛車。「中小企業で、しかも女が!?」というあからさまな顔。まったく相手にしてくれない。むしろ海外では、地場の銀行のほうが頼りになった。
インドのマドラスにある工場で、場のマネージャー、工場長、ソーイング責任者に説明をする万里子。インドも男性社会だった。小さい企業と侮られれば、大きく見せたい心理も働きそうだが、万里子は違う。自分自身のことはもちろん、自分の組織を“大きく見せるような話し方はしない”と心に強く決めていた。誠実にもの作りをしてきた実績と、これからの計画と。きっぱり明確に示して信頼を築いてきたのだ。
ロンドンでは秘書の女性を通して300年の歴史をもつ弁護士事務所のロバート(右から2人目)と出会えた。不動産会社の社員で弟のポール(写真左)のおかげで店舗探しもスムーズだったし、凄腕会計士も紹介してもらえた。左から2人目はリカルド、右端は長男の狩。「我々の会社は、女性の私が主役であり、スタッフも95%が女性だという説明から、交渉を切り出しました。すべて“本音で語るので判断してくれ”という姿勢で」
自分たちは他社とは違う、ワイエムファッション研究所は“女性の会社”である――と。心ない金融先の態度をバネにして、かえって自分たちの組織の個性を認識し、打ち出すことになったわけだ。
晴天の霹靂も乗り越える“個の力”
大手の企業が海外進出を果たす場合、地場銀行との交渉、会社設立の法的手続きなどのいっさいを、仲介業者にまるごとパッケージで委託するケースがほとんどだ。つまり海外で企業が根を張るための国際的な手続きは、それほど難しいということ。インドやタイ、マレーシアで生地を探して輸出入し、タイには工場と会社を、ロンドンにも会社を設立した万里子は、同時進行ですべてを1人で直接行った。1980年~1990年代にかけてのことである。当時こんなパワフルな偉業を成し遂げた人物はほかにいないだろう。しかも世間が言うところの“小さな企業”の“女性経営者”が、である。
インドでのビジネスパートナー、スレッシュとビィーナ夫妻と。箱根を旅したときのひとこま。「個人で交渉せざるを得なかったからではありますが、長い時を経て“個”と“個”で結んだ関係だからよかった、と実感することも多いのです。その国の政権が変わる、ときには王政が変わるなどの大きな変革が生じると、大手日系企業は契約を打ち切られてしまうことも多い。その点、私が信頼関係を築き上げてきた現地の方々は、体制がどうあれ“マリコとの仕事は続けるよ”と揺るがずにいてくれました。本当にありがたいことでしたね」
オフボディのユニセックスな服作り
ヤッコマリカルドは女性が主役で、女性が活躍する会社。けれども、その服を女性限定にしていないのが面白いところ。ブランド創業当初から、女性だけでなく男性もお洒落にするサイズフリーの仕立てを特徴としてきた。
青山店オープンのときに花の配達に来た男の子は、店内のラインナップに魅了され「パンツのシルエットが気に入った」と、その場で予約購入。ボトムスを!?とスタッフも驚いた。
「とてもお洒落な青年でした。若い人がレディス・メンズにこだわらないお洒落を楽しんでいる!と感動しましたね。彼がセレクトしたのはジョッパーズデザインのパンツだったのです。それは長きにわたる私たちの売れ筋アイテムの原点にもなっていますが、30年前に探し出してはく男の子は珍しかった。作り手の我々をおおいに刺激する素晴らしい出来事でした」
インドで出会ったサルワールカミーズは、ヤッコマリカルドの売れ筋ボトムスの誕生へと繋がった。現地でのサルワール(パンツ)とカミーズ(上着)は、普段着から正装まで実にさまざま。万里子(左から4人目)もインドでの結婚式に招かれた際に豪華な刺繍のものを着用。オフボディでゆったり着られるのに、着る人をスタイルよく見せてくれる服作り。そしてユニセックスな世界観。「開放的なお洒落こそ、私のクリエイティブの神髄と言えるでしょう。服作りにも“決まり事からの解放”を目指し、大切にしてきたのです」