日本人にとって最も身近な宝石、真珠。その柔らかで高貴な輝きは、日本の美意識を映し出すかのようです。ここでは、そんな私たちを惹きつけてやまない真珠をモダンに楽しむ着こなしをご提案します。軽やかに進化した真珠の新しい魅力をご覧ください。
「真珠と日本人」―山口 遼(宝石史研究家)
真珠こそ、日本人にとって最も身近な宝石だった宝石と人間との関わりを考えるとき、時代が古いほどに、偶然の出会いがすべてでした。砂浜を歩いている子どもが美しい貝殻を拾うように、古代の人々は、暮らしの中で出会う美しいものを宝石として、身を飾るのに使っていたのです。
この意味で、日本人にとって、真珠こそ最も身近な宝石だったことは間違いありません。食べ物とした貝の中から見つかり、そのまま宝石として使えたのですから、これほど便利なものはなかったのです。
そうはいっても真珠が大量に採れた訳ではなく、長い間それは極めて稀少であり、貴重なものでした。このことは、伊勢神宮の宝物の中に、御白玉と呼ばれる81個の真珠が含まれていることからも分かります。
御木本幸吉という男近代になって、この神秘的な真珠の世界に挑戦したのも日本人です。世界中の誰もが、貝という生物をコントロールできるとは思っていなかった時代に、貝に真珠を作らせようとした男――それがミキモトの創業者・御木本幸吉です。
彼の手による養殖真珠の成功が西欧に伝わった時の衝撃の大きさは、今では想像もつかないほどのものでした。養殖真珠を認める人、認めない人の残した膨大な記録が今でも残っています。1937年のパリ万博を機に、日本の真珠は瞬く間に世界を席巻しました。
日本で生まれたこの輝きは、その後、世界各地に広がり、進化します。オーストラリア、タヒチ、フィリピン、中国と、使う貝の種類は違うものの、美を生み出す多くの技術者は今でも日本人です。
黒蝶真珠などは、昨今はタヒチが主ですが、元々は沖縄で生まれたもの。規模は小さいものの、現在でも沖縄で真珠の養殖は行われています。
日本人が真珠を愛する理由日本人が最も愛し、世界中に広めた真珠――。他の石とは明らかに違う、真珠に対する特別な思いは、古代からの自然の関わりというDNAが刷り込まれている結果だと思います。
これからも日本人の心に寄り添うものとして、また、日本の文化を象徴するものとして、真珠は私たち日本人のみならず、世界中で大切にされていくでしょう。