【特集】あの最高峰時計はなぜ愛されるのか? 家庭画報.comが最高峰時計ブランドの“愛される理由”を徹底分析。各ブランドから、歴史や性能を楽しめる「入門時計」、私のスタイルにフィットする「定番時計」、いつかは欲しい「夢時計」の3本をご紹介します。
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「ティファニー」はチャールズ・ルイス・ティファニーが25歳のとき、1837年にニューヨークで創業した、アメリカを代表するジュエラーです。
ウォッチメーカーとしての歴史も古く、創業からわずか10年後の1847年に時計販売をスタート。ティファニーはパテック・フィリップ社と契約を締結して、アメリカで初めてパテック・フィリップ製の時計を販売するリテーラーになりました。1870年までにティファニーはジュエリー、ウォッチ、高級テーブルウェア、小物などを提供するアメリカ随一の企業へと急成長。1874年にはスイスのジュネーブに自社工場を構えて時計製造を開始し、時計のデザインはニューヨーク、製造はスイスという体制になりました。
19~20世紀は世界各地で博覧会が開催され、ティファニーは出展するたびに最高の賞を獲得。写真は1889年のパリ万国博覧会でグランプリを受賞した「アメリカン・ワイルド・ローズ・ラペル」ウォッチ。エナメルにダイヤモンドをあしらった優美なクリエーションは、当時のティファニーの高い技術力を証しです。ティファニーは創業以来、アメリカや諸外国の政府の依頼に応じて様々なカスタムデザインを行っており、アメリカで最高位の名誉として軍人に授与される議会勲章もそのひとつ。1885年にティファニーがデザインを改訂した合衆国印章は、現在でも政府の公式文書や1ドル紙幣に使用されています。また第32代アメリカ大統領のフランクリン・ルーズベルトは、1945年のヤルタ会談でティファニーの腕時計を着用していました。この腕時計がのちに「ティファニー CT60」のインスピレーション源になっています。
“New York Minute”生みの親
ニューヨーク五番街にあるティファニー本店に掲げられている“アトラスクロック”。この文字盤に描かれたローマ数字にインスピレーションを得て、腕時計「アトラス ウォッチ」が誕生しました。1853年、ブロードウェイ550番地に移転したティファニー本店のファサードにギリシャ神話のアトラス像が時計を掲げているオブジェ“アトラスクロック”を設置。これがきっかけとなり、ティファニーは “New York Minute(ニューヨークミニット)”という概念の生みの親と呼ばれるようになり、この9フィートの高さを誇る“アトラスクロック”は、ニューヨーク初期の公共時計の一つとなりました。ニューヨーカーたちはこの時計を正確な時を表示する基準として、またニューヨークの活力の象徴として、何世代にも渡って慣れ親しんできました。今もアトラスクロックは5番街にあるティファニー本店のファサードでニューヨークの時を刻んでいます。
1883年にニューヨーク市が標準時間を設定すると、ティファニーはニューヨーク市にある約400あまりの時計の整備を担当。まさにニューヨークの時計の歴史はティファニーと共にあり、腕時計のデザインにもその歴史が色濃く反映されているのです。
創業者のチャールズ・ルイス・ティファニー(写真左)は、1845年に米国初のメールオーダーカタログ『ティファニー ブルーブック』を刊行。表紙には “ティファニーブルー”が採用されました。このブルーは“ロビンズ・エッグ・ブルー(コマドリの卵の色)”や“フォーゲット・ミー・ノット・ブルー(わすれな草の色)」とも呼ばれています。この色が選ばれた背景には、19世紀にターコイズが人気の高い宝石だったこと、ヴィクトリア王朝時代の花嫁に人気の高い色で、花嫁のことを忘れないように結婚式の出席者にターコイズブローチを贈った習慣があったからです。のちに“ティファニーブルーボックス”(写真右)は、ティファニーのすべての商品が持つ気品やラグジュアリー感のシンボルになりました。 Information
ティファニー・アンド・カンパニー・ジャパン・インク
表示価格はすべて税別です。 撮影/サトウアサ 取材・文/磯 由利子 スタイリング/長谷川 綾