これぞジュエリーの真髄 第1回(02) 古代の金細工と復元 有川一三氏が主宰する「アルビオンアート」にはこれぞジュエリーの真髄というべき歴史的な芸術品が揃います。今回から、ジュエリーの歴史やデザイン、技術など、その魅力をもっと深く知る連載がスタート。宝石史研究家の山口 遼さんによる解説で、まだ見ぬ輝きの扉を開きましょう。
前回の記事はこちら>> 19世紀の2人の作り手
19世紀の半ば頃、ローマに不思議な宝石商が2人いました。カステラーニとその弟子にあたるジュリアーノです。
カステラーニとその一族は、ローマ市内に骨董品を売る店舗を構え、イタリアやギリシャ全土から発見される古代の金製品などを旅行者に売っていたと思われます。
そのうちに、発掘品と同じものを作れないかと思うようになったと推測されます。土産物屋からジュエラーへの転身、それがこの師弟の考えたことでした。
カステラーニが最初に挑戦したのが、エトルリアの粒金細工です。
1.[カステラーニ 作]考古学リヴァイヴァルのチェーンとブラ
製作年代:1860年頃 製作国:イタリア1のペンダントは、彼が作ったエトルスク風のもので、ローマ時代に流行したブラと呼ばれるもの。円形の部分が開いて、そこにお守りを入れて身につけます。
前回1の円形のイヤリングと同じ技術ですが、カステラーニの作品は実に整然としており、極めて見事な粒金の復元です。
2.[カステラーニ 作]クル・オバ ブローチ
製作年代:1860年頃 製作国:イタリア2のクル・オバのブローチも同じ技術が使われています。
3.[カステラーニ 作]メロス島で出土したネックレスを再現したブローチ
製作年代:1860年頃 製作国:イタリア3はギリシャ風のもので、デザインの細部はちょっと違いますが、
前回3の古代のものとほぼ同じ作りですからよく見比べてください。彼はエトルスクだけでなく、過去のあらゆるデザイン、あらゆる作りのものに挑戦しました。
4.[カステラーニ 作]ジェムセット・ブレスレット
製作年代:1860年頃 製作国:イタリア4のブレスレットはゴシック様式を応用したもの。5個の宝石を埋めたパーツを繋ぐロッククリスタルの板の上には、希望、健康、人生、愛、信仰の文字がゴシック文字で書かれています。
カステラーニは優れた職人にありがちな非常に狷介なところのある人物だったようで、粒金の復元技術を一切書き残していません。
ですから、こうして一度復元された粒金の技術は、現代ではわからなくなったのです。一番弟子だったジュリアーノも、粒金のものはあまり作っていません。
ジュリアーノはローマで修業後、ロンドンにわたり、自分の店を開きます。彼も師匠と同様、ほとんどすべてのデザインのアイデアを過去の遺物から取り入れていますが、その幅広さは師匠を超えるかもしれません。
5.[ジュリアーノ 作]ネックレスとイヤリング
製作年代:1890年頃 製作国:イギリス5のネックレスとイヤリングの場合、全周にわたって様々なフリンジ模様を取りつけるのは古代ギリシャ伝来の作り方と同じですが、垂れ下がり部分ははるかにカラフルです。技術的にも師匠を凌ぐものが多くあります。
6.[ジュリアーノ 作]ベンチに腰掛ける2人のキューピッド
製作年代:1880年頃 製作国:イギリス7.[ジュリアーノ 作]キューピッドのピン
製作年代:1890年頃 製作国:イギリス上のブローチ2点をご覧ください。6は真珠を鋸で挽き切っている天使2人、7は緑の若葉の間から顔を覗かせる天使という、いかにもユーモアのある明るさがあります。彼がロンドンで大成功を収めたのも、当然といえますね。
2人の作品は、そのデザインを過去の遺物から取ったことにより、歴史主義、あるいは考古学主義のジュエリーと呼ばれ、19世紀の欧州で流行したものの1つです。この2人は、それ以外にもジュエリーの歴史に残ることをやっています。それは自分の作った作品に、デザイナーとして自身の名前をはっきりと記したことです。それ以前は、どんなに優れた作品でも作者名がわかることはありませんでした。彼らの自信のほどがわかりますね。
こうしてアルビオンアート・コレクションが有する新旧の金細工ジュエリーを並べてみますと、デザインというものは古いようで新しいということがよくわかります。
撮影/栗本 光
『家庭画報』2023年1月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。