これぞジュエリーの真髄 第4回(01) ナポレオンと色石の世界 有川一三氏が主宰する「アルビオンアート」の歴史的な芸術品の数々を、宝石史研究家の山口 遼さんの解説で紐解くジュエリー連載。第4回は、ナポレオンの時代に特徴的な輝きの秘密をご紹介します。
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19世紀初頭にフランス皇帝となったナポレオンは、軍事の天才であるだけでなく、歴史や文化に強い関心を持った人物でした。エジプト遠征の折には膨大な遺品を持ち帰り、エジプト誌と題する本を出しているほどです。
彼はまたファッションやジュエリーにも深い興味があり、欧州のほとんどを征服した後、各国の王侯貴族のカメオを収集します。ルネッサンス以降のカメオをパリに集め、イタリアから多くの職人を呼び、カメオ彫刻の学校を作るほど入れ込んでいました。
また、当時プロシャ帝国がナポレオンとの戦争の軍資金にと金銀宝石を提供した国民に対し、ベルリン・アイアンと呼ばれる鋳鉄のジュエリーを与えましたが、彼はこれも気に入り、プロシャを征服後、その職人と工房をパリに移しています。
1.ベルリン・アイアンのカメオ・ネックレス
製作年代:19世紀初頭
製作国:フランス1は、彼のカメオ好きとベルリン・アイアン好きがよくわかる作品です。漆黒の鉄の部分には錆止めのためにツヤのある塗料を塗っており、美しく不思議な存在感があります。
2.[ナポレオン1世よりバッサーノ公爵へ贈られた モレッリ 作]ナポレオン1世のカメオ・ブローチ
製作年代:カメオ/19世紀初頭 枠/19世紀中期
製作国:イタリア自分の横顔を彫った見事なカメオ2は、名工モレッリの作品で、部下であった大臣に与えたもの。ダイヤモンドだけを飾りにしたカメオアビエで、素晴らしい作りです。自分の肖像を部下に与えるとは、皇帝か王様以外にはなかなかできないことですよね。
3.リュミニー侯爵夫人のピンクトパーズとアクアマリン・パリュール
製作年代:1820年代
製作国:フランス
皇帝がジュエリー好きなら、部下や家族もそれに倣います。3のパリュールは、ピンクトパーズとアクアマリンという奇抜な色石の組み合わせ。軍事面での部下であったモルティエ元帥が娘の結婚式に作らせたものです。13個のジュエリーからなり、花束のブローチにはトレンブランという一部が微妙に震える技術が使われています。
4.[ポーリーヌ・ボナパルト 旧蔵]ザ・ボルゲーゼ ルビー パリュール
製作年代:ルビー/19世紀初頭、
1886年頃
製作国:イタリア4のパリュールは、ナポレオンの妹でイタリアの名家ボルゲーゼ家に嫁いだポーリーヌのもの。これだけ色の揃ったルビーを集めるのは、今では不可能です。シンプルですが、なんともいえない凄みがあります。妹というだけでこれですから、ナポレオン一族の栄華のほどが窺えます。
5.ジョゼフィーヌ皇后のミニアチュール
製作年代:1807年頃
製作国:フランス皇后のジョゼフィーヌも負けていません。5は、彼女のポートレートをナポレオンの公式画家であったイザベが象牙の板の上に描いたもの。ナポレオンが戦場に携行したものかと推察されますが、作られたのは1807年。彼女が離婚されたのが1809年ですから、まあ、栄華一場の夢ともいえるかもしれません。
ナポレオンは1821年、セントヘレナ島で死去しますが、人々の間では死後もその思い出が長く残ったようで、様々なジュエリーやそれに類した作品が大切にされています。
6.ナポレオンのカメオ付きスナッフボックス
製作年代:1810年頃
製作国:フランス6は、鼈甲製の丸い容器の中央に、オニキスにナポレオンの横顔をカメオにしたものが載っています。これはスナッフボックスといい、嗅ぎタバコを入れて持ち歩くもの。もともとナポレオンの部下であったネイ将軍に与えられ、その後ナポレオンの大の崇拝者であった英国貴族の手に渡りました。
これが凄いのは、蓋の裏側に小さな容器があり、ナポレオンの遺髪が今でも収まっているのです。どうして、これが日本にあるのか。それこそがアルビオンアート・コレクションの面白さでしょう。
監修・文/山口 遼 撮影/栗本 光
『家庭画報』2023年4月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。