世界に背を向けて
ハマスホイは、ほとんどの場合、イーダが鑑賞者に背中を向けるように後ろ姿で描きました。後ろ姿のイーダを壁と扉で閉ざされた室内に置くことで、鑑賞者に真っ向から対決させるかのように仕組んだのです。
ただし、どの作品のイーダも動作を中断しているようで何をしているのかはっきりとしません。彼女の行為が分からないために、まるで時間が止まっているような印象を受けます。
ハマスホイは、伝統的な室内画で女性に託されていた家庭的な役割をイーダから取り去りました。例えば、《室内、ストランゲーゼ30番地》(下・図3)のような不気味な室内画は、これまでにない異例のものです。
図3 ヴィルヘルム・ハマスホイ《室内、ストランゲーゼ30番地》 1899年、油彩、カンヴァス、テイト(ナショナルギャラリー寄託)、ロンドン食堂の半分以上を占める大きな木製テーブルに圧迫されているかのように、黒いドレスのイーダは窮屈な空間に置かれています。テーブルの上には何もないために、彼女の動作とその目的はうかがうことができません。うなじの白さが強調された後ろ姿は、まるで我々がいる世界に対する強い拒絶を表明しているかのようです。
また、彼女の頭髪には髑髏のような黒い影がうっすらと認められるだけでなく、沼地のように黒々とした床の描写とも相まって、まるでホラー映画の一場面のようにも見えてきます。きっちりと閉じられた扉からも、くつろいだ雰囲気は全く感じられません。
ドイツの美術史家フェリックス・クレマーは、こうした世界をフロイトの「不気味なもの」という概念を使って読み解こうとしました。本当は見慣れたはずの我が家が、突如として見慣れないものに変わる異化効果です。ハマスホイは、自宅でさえも裏切って見えてくるような、現代の精神の危うさを表現したのかもしれません。
ハマスホイは、誰もいない室内画も多数描いています。
図4 ヴィルヘルム・ハマスホイ《陽光習作》 1906年、油彩、カンヴァス、デーヴィズ・コレクション、コペンハーゲン《陽光習作》(上・図4)では、空っぽの部屋の窓に面した中庭から、柔らかな陽光が差し込むことで、画面の雰囲気は一見すると暖かく感じられます。しかし、その扉にはドアノブが描かれていないばかりか、壁にきっちりと嵌め込まれています。
光が入る窓ガラスも曇っているために、外の様子をうかがうこともできません。我々は、そのことに気づくや否や急に孤独感が高まり、絵から受ける閉塞感で息苦しくなってくるのです。
《白い扉、あるいは開いた扉》(下・図5)は、彼が描いた室内画のなかでも、その不気味さで際立っています。
図5 ヴィルヘルム・ハマスホイ《白い扉、あるいは開いた扉》1905年、油彩、カンヴァス、デーヴィズ・コレクション、コペンハーゲン開かれたまま放置された扉の開放感と、どこかにつながっているようでつながっていない閉塞感の入り交じる不思議な空間になっているからです。
ハマスホイは、本作でも一切の家具を排し、壁、床板、扉といった建物の構造体のみで絵画を成立させています。それは、まるで室内の「ヌード」と言えるかもしれません。カーテンや一枚の額絵さえも、住人の存在を思わせるようなものは何一つ描かれていないからです。
そこにあるのは、住人が部屋の中を往来していたことを思わせる、床に残された「痕跡」だけなのです。生命的な要素のすべてを消し去った本作は、現代人がもつ漠然とした不安感を室内画を通して表現することに成功しています。
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四六判 並製 264ページ オールカラー定価 : 1760円(本体1600円+税10%)ISBN978-4418202201 『家庭画報』2022年3月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。