和夫さんも言葉に頼らないコミュニケーションがときによい効果をもたらすことを書き残しています。
認知症の人の不安が強いときは手を握る、肩を抱く、背中をさする。非言語的コミュニケーションがとても効果的です。言葉だけに寄りかからない対話はときに大きな信頼感を生み、心の触れ合いをもたらします。──和夫さん
父によると、認知症の人の不安が強いときは特に効果があるようです。手を握る、肩を抱く、背中をさする。こういったスキンシップが認知症の人の気持ちを安心させます。本人が思うように動けず、イライラしているときは非言語的対応を試みるのがよいでしょう。
生活習慣や行動習慣を利用した工夫と環境づくりを
一方で思考力が低下してきても時間をかければ認知症の人は自分なりに判断することができるといいます。
ゆえに介護する際は本人のペースに合わせることがとても大切になってきます。父は「認知症の人に時間を差し上げる気持ちでじっと待ちなさい」とよく助言していましたが、待つことを心がけると認知症の人は混乱することが少なくなり、家族にとっても介護が楽になるでしょう。
認知症の母を介護する脳科学者の恩蔵絢子さんは「アフォーダンス」を活用した環境づくりを提案しています。アフォーダンスとは米国の心理学者であるジェームズ・J・ギブソンによって提唱された概念で、過去の経験則から使い方を知覚していることを説明なしでも使えるように環境側から働きかけることです。
和夫さんは著書の中で「慣れない英語での対話に不安を抱えていたアメリカ留学時代に非言語的コミュニケーションの有効性を学んだ」と書き残している。 写真提供/長谷川 洋さん認知症の人のこれまでの生活習慣や行動習慣を利用した工夫と環境づくりはとても重要だと思います。私の患者さんの中にもアフォーダンスをうまく活用されたご家族がいました。その患者さんは促してもトイレに行かず、ご家族が困っていました。一方で患者さんは長年、ゴキブリ退治をする役割を引き受けており、認知症になってからも奥さんが「ゴキブリ!」と叫ぶとその場所まで退治にやってきていたのです。
そこで、奥さんは時間を見計らってトイレの前で「ゴキブリ!」と叫び、患者さんがやってくると「ゴキブリはいなくなっちゃった。せっかくだからトイレも済ませましょう」と誘導するとすんなり動いてくれたそうです。以来、患者さんをどこかに誘導したいときはこの方法を使うようになりました。
「何度叫んでも主人はすぐに忘れるから、われながらいい方法を思いつきました」と奥さんが笑っていらしたのが印象的です。このように介護者にゆとりが持てる工夫を凝らすことも大切です。
撮影/八田政玄 取材・文/渡辺千鶴
『家庭画報』2022年11月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。