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【松岡修造の健康画報】「人は死んだらおしまいなのでしょうか」

2024.04.08

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松岡修造の人生百年時代の“健やかに生きる”を応援する「健康画報」

連載開始時の2年前には8万人台だった100歳以上のご長寿が9万人を超えるなか、「高齢になっても健康で幸せに生きるには」をテーマに、松岡修造さんがさまざまな分野の方にご教示いただいてきた「健康画報」の最終回。『マッハの恐怖』『ガン回廊の朝(あした)』など、「生と死」をテーマにした作品で知られるノンフィクション作家の柳田邦男先生から深く貴重なお話を伺いました。

前回の記事はこちら>> 連載一覧はこちら>> 取材の後半、「お疲れになりませんか」と気遣う松岡さんに、「体力はありますから」と柳田さん。米寿を前にまだまだ意気軒昂です。

取材の後半、「お疲れになりませんか」と気遣う松岡さんに、「体力はありますから」と柳田さん。米寿を前にまだまだ意気軒昂です。

ノンフィクション作家 柳田 邦男さん

「素晴らしい記憶力ですね」と感心する松岡さんに、柳田さんは「現場で直接取材した生の声や表情は記憶に残ります」と説明。ノンフィクション作家としての矜持が窺えました。

「素晴らしい記憶力ですね」と感心する松岡さんに、柳田さんは「現場で直接取材した生の声や表情は記憶に残ります」と説明。ノンフィクション作家としての矜持が窺えました。

柳田邦男さん(やなぎだ・くにお)
1936年栃木県生まれ。東京大学経済学部卒業。NHK記者を経て、作家に。「生と死」をテーマにノンフィクション作品や評論を執筆。航空機事故の原因を究明した『マッハの恐怖』で1972年に大宅壮一ノンフィクション賞、『ガン回廊の朝(あした)』で1979年に講談社ノンフィクション賞、『犠牲(サクリファイス)─わが息子・脳死の11日』の執筆とノンフィクションジャンル確立への貢献により1995年に菊池寛賞を受賞。近著に『最後まで生きるために〈上〉わたしの死 あなたの死』『最後まで生きるために〈下〉苦悩からの解放』。

「人は死んだらおしまいなのでしょうか」── 松岡さん

「生物学的な命が尽きても、一番大事な精神性の命は生き続けます」── 柳田さん

松岡 先生にお目にかかるにあたり、ご著書やインタビュー番組など、いろいろ拝見しました。そのうえで、今日はぜひ、先生が「一番伝えたいこと」を話していただくのがベストだと僕は思っております。


柳田 ありがとうございます。松岡さんのことはテレビで年中拝見しておりますが、解説もインタビューも面白くて引き込まれます。プロテニスプレーヤーのご経験がある方は違うなと思いましてね。家内もファンなんです。

松岡 それは恐縮です。

救命の現場に求められる「二・五人称の視点」

「一人称、二人称、三人称の命。確かに感じ方が違います」── 松岡さん

柳田 私はずっと「生と死」をテーマに取材をしてきましたが、サイエンスレベルで考えると、動物の死も人間の死も同じになるんですね。では、人間の死はどこが違うのかと考えると、やはり心とか魂とか、そういう精神性の世界がものすごく大事で。だから、私は「誰の命なのか」によって、命の見方が変わると思っているんです。一人称の私の命なのか、二人称の愛するあなたの命なのか、あるいは三人称の見も知らぬ他人の命なのか。「人称」が非常に重要なんです。

たとえば、重病の患者さんについて、一人称の本人は「あと何日生きられるのか」「財産分けはどうしよう」といった問題にぶつかる。二人称は家族や恋人など大事な人があと少しでこの世を去るという視点ですね。経済的なことも含めて、「この人がいなくなったらどうやって生きていこう」といった、一人称とはまた違う問題に直面します。そして、患者の体をみて臓器をみて、「こういう治療をします」という医師は基本的に三人称の視点ですね。

この度の能登半島地震の報道で感じるのが、政府は三人称の視点だということです。先日テレビ番組で、歴代の総理大臣が地震発生から何日後に被災地に行ったかを比較していましたが、2日後や3日後などが並ぶなか、今回の岸田総理は13日後だった。これは、単なる数字の問題ではありません。政治家や役所というのは、往々にして三人称になってしまうことの表れです。「全体でどれくらいなの?」とか「死者は何人」といった統計的な見方だけをしていたら、事態の緊急性、重大性が身に染みてわかることはありません。

松岡 いいづらいのですが、僕は三人称なのだろうと思います。僕は『くいしん坊!万才』という番組で日本全国を2周ぐらいしていて、能登のあたりも訪ねているので、皆さん大変だろうな、何かできないかと思います。でも、実際には何の行動も起こせていないですし、結局は「三人称」なのだろうなと......。先生は、三人称の視点がどうなればいいとお思いですか。

「行政や医療従事者には「二・五人称の視点」を持ってほしい」── 柳田さん

柳田
 私は20年ほど前から、行政のものの見方として、「二・五人称の視点」を提言しているんです。救援活動をする自衛隊や消防署員、医療従事者といった人たちは、被災者の皆さんの大変さ、苦しみを我が身の問題としてしっかり考える必要がある。でも一方で、感情移入しすぎるとバーンアウト(燃え尽き症候群)してしまうから、ある程度距離を持って冷静に、科学性や客観性を維持しながら活動しなきゃいけない。三人称の他人事ではいけないけれど、一人称、二人称になるのも違う。そこで、「二・五人称の視点」という言葉をつくったんです。今、このことについての本も執筆中で、2024年か2025年には出したいと思ってるんですけどね。

松岡 なるほど。「二・五人称の視点」は、災害時に限らず、重い病気の患者さんとそのご家族に接するときなどにも必要に思えます。

柳田 おっしゃるとおりですね。

松岡 先生は次男の洋二郎さんに先立たれるというつらいご経験もあって、人称性ということを考えるようになられたのでしょうか。

(松岡さん)ジャケット、パンツ、シャツ、ネクタイ、靴/コナカ

(松岡さん)ジャケット、パンツ、シャツ、ネクタイ、靴/コナカ

汗をかき、ひげが生える。脳死は人の死といえるのか

柳田 まさに洋二郎の死がきっかけです。息子は当時25歳で、心を病み、自ら命を絶とうとして、救命措置によって、脳死状態になりました。

松岡 亡くなられるまでの11日間、そばで見守られたと、ご著書の『犠牲(サクリファイス)─わが息子・脳死の11日』を拝読して知りました。

柳田 息子が亡くなった1993年の少し前、1990年に首相の諮問機関として脳死臨調(臨時脳死及び臓器移植調査会)が設置され、「脳死は人の死だから、脳死状態になったら心臓を取り出していい」という見解が示されたのですね。私はそれ以前から脳死の問題に関心があって、専門の医学書などを読んでいたので、「脳は人間の神経や思考力や生物学的生態などの中枢センターだから、そこが機能しなくなったら、人格がない。となると、人の命とはいえないのではないか」という考えのもと、脳死は人の死だと思っていました。

ところが、いざ自分の息子がその状態になると、「脳死は人の死」だなんて、まったく思えないんですね。脳死状態でも、息子は汗をかく、ひげが生える、おしっこをする、看護師も一所懸命、体をきれいにしてくれる。眠っているときと何にも変わらないじゃないか? 意識がないだけで死んだといえるのか? 脳死って何なんだろう? とさまざまな思いが渦巻きました。

松岡 先生が病室に入られると、血圧が急に上がったりしたそうですね。

柳田 ええ。声をかけると、命が躍動するような、何か伝わってくるものがありましたし、口はきけなくても、ずっと魂で会話をしていました。この経験から、私は、「科学や知識だけで人間の命をとらえたら、とんでもない間違いを犯しかねない」と痛感したのです。そして、初めて、命の人称性、つまり「誰の命なのか」という視点で考えないと、命の本当の大切さはわからないと気づかされました。

柳田さんからいただいたレジュメ。誰の死か(何人称の死か)によって、直面する問題も変わることが記されています。一人称の自分の死であれば、リビング・ウィル(終末期に受ける医療についての事前指示書)の作成なども検討事項に。

空襲と家族の死を通じて形成されていった死生観

松岡 先生は、子どもの頃から、ご家族の死と向き合っていらっしゃいました。僕のように身近な家族の死を経験していない人間とは、死のとらえ方が全然違うのではないでしょうか。

柳田 私が初めて死を意識したのは9歳で空襲を体験したときでした。その後、終戦の翌年に2番目の兄と父を相次いで結核で亡くしたのですが、父は兄が先に亡くなったとき、病床で「馬鹿野郎!」と大声を出したんです。父は自分が結核で苦労したので、子どもたちには「健康第一だ」といつもいっていて、勉強すると怒った。それだけに兄が結核で死んでしまったのが悔しかったんでしょう。父はそのショックもあってか、病状が悪化して、5か月後に亡くなりました。家族一人一人に言葉を遺して、静かに亡くなりました。

松岡 「馬鹿野郎!」は悔しさから出た言葉だったのですね。先生も最愛の息子さんに先立たれて、つらく、悔しいお気持ちになられたかと思います。

柳田 自分を責める気持ちがものすごく強かったですね。息子は20歳になる直前ぐらいから5年ほど精神科に通ったのですが、振り返ると中学校の終わり頃から兆候はあったんです。2年のとき、クラスでふざけていて友達からチョークをぶつけられ、目にケガをしたのがきっかけだったと思うのですが、学校へ行くのがつらそうに見えました。彼の母親、亡くなった私の前妻が精神を患っていて、もうずっと子どもの世話や家事ができない状態だったことも影響していたと思います。父親として、彼の苦悩や葛藤に気づいてやれていればと今でも思います。

松岡 僕は先生が洋二郎さんの死について書かれた『犠牲』を読んでいて、何度も止まってしまったんです。子どもが脳死状態で、妻は精神を患っていて、という先生のような状況に置かれたら、自分はどうしただろうと思うと胸が苦しくなって。生きるのをやめたいと思ったことはありませんか。

柳田 そうですね。長男に「生きていても申しわけない気がする」というようなことをいったことがあります。そうしたら、「親父はどこまで自分勝手なんだ!」と怒られまして。その言葉に救われました。

松岡 そうでしたか。ご長男の言葉もあって、先生は光を見つけることができたのですね。

柳田 洋二郎は生前、よく私に突っかかってきたんです。「親父は作家だろう? 人の心をどこまでわかってんだ」「そんなんでよく本を書けるな」とかね。その言葉は彼が脳死状態に陥ったときも現在も、エンドレスで自分を襲ってきます。でも、そういう息子の私に対する批判的な、あるいは食ってかかるような言葉は、ある意味で今の私をすごく支えているんです。

松岡 支えているんですか?

柳田 息子のいうとおりで、人間を理解するのは、そんなたやすいもんじゃない。取材をしていても、相手の心のなかまで入り込むなんてことは非常に難しいし、本当にどこまで自分の問題に引き寄せて考えられたのか?というのは、もう永遠の課題みたいなもので。いつもそこへ戻って、自分はどうあるべきかを考えなければいけないという思いは尽きませんね。

「「死後生」は洋二郎さんを喪(うしな)って気づかれたことなのですね」── 松岡さん
「年とともに体力や地位は落ちても精神性は成長、成熟します」── 柳田さん

松岡 洋二郎さんの魂は、とてつもなく強く先生のなかに存在しているのですね。先生にとって、向き合わなければならないものであり、生きる力にもなっているということでしょうか。

柳田 息子は、私のなかでいつも生き生きしていて、声が聞こえるぐらいリアリティがあるんです。だから、息子は私の心のなかで一緒に生きている。肉体は滅びたけれど、魂は生きている。そういう思いが亡くなった直後からあって、年を経るごとに強くなっています。それを「死後生」と私は勝手に名づけて、そのことも本に書こうと思って準備中なんですが、「死後生」を考えると、死んだ後のことだけじゃなくて、今をどう生きるかも考えることになるんですね。一生の全体像をとらえたうえで生きるということが大事だと思うようになりました。

人間というのは、生まれて、幼少期を過ごし、社会性や知識を身につけて、青年期、中年期、壮年期と進み、人生のクライマックスを迎える。70年代にアメリカの精神医学者らが唱えたライフサイクル論は、人間は壮年期を過ぎると人生下り坂で、体力が衰え、社会的な地位を失い、さらに病気でもしたら、急速にカーブが下がっていって死で終わる、そういうものでした。でも、私はそれは間違っていると思うようになりました。一番大事な人間の命の精神性は社会的な地位が失われようと、病気になろうと絶えず成長する。むしろ病気になったからこそ気づくことがいっぱいある。だから、成長、成熟の曲線は、壮年期以降に緩やかに上昇するというのが、私が考える新しいライフサイクルです。

そして、死んだ後も、その人の生き方や言葉、あるいは愛は、残された家族や近しい人の心のなかで生き、残された人の人生を充実させます。たとえば、「いつも親父はこういってたな」と、息子が亡き父の言葉を指針にして、何か世のため人のためになるようなことをする。あるいは、亡き夫が障害を得たことで、障害者の人たちの大変さを知った妻がボランティア活動を始める、とかね。そういったことで、残された人は、喪失感だけでなく、「この人の死によって、私はこんなことに気づけた。こんなふうに生きられるようになった」という気持ちを持てるようになる。私自身、さまざまな気づきを与えてくれた息子の死を、すごくありがたいと思っています。だから、死んでも人は成長して、カーブは下り坂にならない。むしろ死んでからも上昇曲線かもしれないと考えています。

新ライフサイクル論

柳田さん考案の「新ライフサイクル論」は、精神性の命は、死後も人の心のなかで生き続けるというもの。「だからこそ、人生の最後は精神性を大事にしましょう」と説かれます。

88歳、明日、世界が滅亡しようとも、朝ひげを剃る

「6月で米寿。腰痛の問題はありますが、90歳も通過できると思います」── 柳田さん

柳田 私は今年の6月で88歳、米寿になります。5年前に脊柱管狭窄症の手術をした影響で杖が必要な生活ですが、気持ちのうえでは全然負い目に感じていません。1年半前に股関節の手術を受けた家内も私も、医者から毎日歩くようにいわれているので、ちょうどいいねと話して、一緒に散歩しています。医者のいう1日5000歩はなかなか難しいですが、近くのスーパーを往復すると2500歩くらいにはなります。

松岡 先生は書きたい本がいくつもおありですし、まだまだお元気で長生きされないといけませんね。

柳田 そうですね。あと2年で90ですが、「90を過ぎたらどうなるんだろう」などと不安になることはありません。「ああ、90になったか」という感じで、たぶん通過できると思っています。

松岡 素晴らしい! 同年代の父に伝えたいです。

「サラダと一緒に、りんごなり柿なり、季節のフルーツもちゃんと用意します」。嬉しそうに話す柳田さんの様子から、幸せな食卓の風景が目に浮かびました。

「サラダと一緒に、りんごなり柿なり、季節のフルーツもちゃんと用意します」。嬉しそうに話す柳田さんの様子から、幸せな食卓の風景が目に浮かびました。

柳田 腰痛の問題はそう甘くはないと思っているし、足腰こそ、後期高齢者の命の質にかかわるという自覚もあります。それでも、「もうダメだな」なんて意識はまったくなくて、そのときどきのコンディションで淡々と生きられるだろうと思っているんです。ちょっと余談的な話になりますが、私は朝の野菜サラダをとても大事にしてまして。

松岡 サラダですか(笑)。僕は年配の方も結構取材するんですが、お元気な方ほどお肉を召し上がる印象です。でも、先生は野菜サラダなんですね?

柳田 はい。私の朝の仕事は2つあって、1つはひげを剃る、もう1つは野菜サラダを作ることなんです。朝起きたら真っ先にするのが、愛用の木のボウルに山盛りの生野菜サラダを作ること。私と家内の分です。これはね、ドイツの宗教改革者、マルチン・ルターの「たとえ明日、世界が滅亡しようとも今日私はりんごの木を植える」という言葉につながることなんです。「明日地球が終わるなら、何をやっても意味がない」じゃなくて、どんなときも、今日という日、今という時間を大事にして、りんごの木を植える、命を育てる。その行為は、自分自身の命をすっくと立たせて、その時を淡々と受け入れさせてくれます。

松岡 りんごの木を植えるという話と、先生の朝のルーティンはつながっているのですね。

柳田 ええ。アウシュビッツを生き延びたオーストリアの精神医学者ヴィクトール・E・フランクルは、著書の『夜と霧』でこんな話を書いているんです。集団でアウシュビッツに着いたとき、先に収容されていた男たちが見ていて、そのなかの1人が、「朝起きたら、ひげを剃れ!」と叫んだ。明日ガス室で殺されるかもしれない生活のなかで、朝ひげを剃れという。フランクルはそれをルターの言葉と同じように受け止めたのですね。たとえ、その日死ぬことになろうとも、自分を律して今日という日を迎える、ということです。私がひげを剃り、サラダを作ることでしゃんとするのは、この「朝起きたら、ひげを剃れ!」の応用問題を解くような思いでやっています。

松岡 今日も生きていることを確認するようなルーティンなのですね。

柳田 同時に、今日一日に対する自分の姿勢、決意の表れですね。 25年ほど前から「大人こそ絵本を。人生経験を重ねたからこそ気づけることがあります」と呼びかけている柳田さん。きっかけは、ご自身が息子の洋二郎さんを亡くして茫然としていたときに『よだかの星』の絵本に再会し、救われたことだといいます。

25年ほど前から「大人こそ絵本を。人生経験を重ねたからこそ気づけることがあります」と呼びかけている柳田さん。きっかけは、ご自身が息子の洋二郎さんを亡くして茫然としていたときに『よだかの星』の絵本に再会し、救われたことだといいます。

1か月考え抜いて決めた「だいじょうぶ」という訳

松岡 先生が翻訳された絵本『だいじょうぶだよ、ゾウさん』、先生が音読したほうがいいと書かれていたので、繰り返し声に出して読んでいます。タイトルの「だいじょうぶだよ、ゾウさん」はネズミの言葉だと思いますが、実際の文中で「だいじょうぶ」といっているのはゾウさんのほうですね。

柳田 そうですね。文中の「だいじょうぶ」は翻訳する際、1か月考えて選んだ言葉なんです。絵本というのはもともとの文章は易しいのですが、一言一言がすごく重要な意味を持つことが多いので訳すのが難しいんです。

松岡 1か月もかけられたのですか!

柳田 この絵本が描いているのは人間の生と死のドラマです。ネズミくんは、大好きなゾウさんに橋の向こう、つまりあの世へ行ってほしくない。でも、弱って苦しそうなゾウさんを見ているうちに、橋の向こうに行ったほうがいいんじゃないかと思い始める。人間に置き換えると、たとえば末期のがんで余命わずかな夫がゾウさんで、医者に「一日でも長く夫を生き永らえさせてほしい」と懇願する妻がネズミくんです。ネズミくんが橋を直してゾウさんを見送るところは、妻が夫が穏やかに旅立てるよう、緩和ケアの手続きをするといったことでしょうか。橋をわたり始めたゾウさんに、ネズミくんは「こわがらないで、もう、がんじょうになってるから!」と声をかける。ゾウさんは振り向いて、「こわくなんかないよ。だいじょうぶ、安心してわたれるさ!」と答える。最後の一文は英語では“Iknow it will be fine !”なんですが、そうしたことを全部考えた末、「だいじょうぶ」という日本語独特の言葉にしました。

松岡 そうでしたか。「大丈夫」は漢字で書くと「人」が3つも入っていて、人に支えられている感じがします。

死への恐怖を和らげ、人を勇気づける絵本の力

「ご準備中の本をすべて出すためにも、お元気でいらしてください」── 松岡さん

柳田 ある看護学校で講演を頼まれて行った際、「患者さんの言葉を聞く」という授業を聴講させてもらったことがあったんです。そのとき、看護師さんの押す車椅子に乗って現れた肺がんの患者さんが、この本を手に持っていて、学生さんたちに「皆さん、この本をぜひ読んでください。私はこの本のおかげで死が怖くなくなりました。いつも枕元に置いて、死を迎える支えにしています。棺の中に入れてもらうようにお願いしているんですよ」といったんです。私は何も聞かされておらず、本当にびっくりしました。

また、荒川区の「柳田邦男絵本大賞」の応募作品にも胸を打たれました。弟を白血病で亡くした小学6年生の少女が書いたもので、彼女は悲しみから立ち直るきっかけになったのが『だいじょうぶだよ、ゾウさん』だったというんです。弟がかわいそうで毎日泣いていたときに読み、「弟はあっちへ行っても幸せだし、自分の心のなかでいつまでも生きていてくれると思えるようになって、泣かなくてもすむようになった」と。小学6年生の少女でもグリーフワーク(近しい人を亡くした人が、その悲嘆を乗り越えようとする心の努力)をちゃんとできるということと、絵本がその力になることに感動したのです。絵本というのは、ものすごく深いものなんですよね。

松岡 先生は「絵本は人生に三度」、自分が幼いときと親になって子どもを育てるとき、そして人生の後半に差しかかったときに読むものだと書いていらっしゃいますよね? その文章を拝読したとき、僕はとても新鮮に感じたのですが、今回ゾウさんの絵本を読んで、その意味がよくわかりました。年を重ねたからこそわかること、心に響くものがありますね。僕は今56歳ですが、ネズミくんに自分を重ねながら読みました。自分もネズミくんのように成長していけたらいいなと思います。

今日は先生にお会いできて本当によかったです。僕の人生観、子どもたちへの接し方が変わる気がします。

柳田 私も松岡さんとじっくり語り合うことができて楽しかったです。妻に「素晴らしい方だったよ」と伝えます。

柳田邦男さんの著書・訳書

著/柳田邦男 文藝春秋 781円

著/柳田邦男 文藝春秋 781円

『犠牲(サクリファイス)
─わが息子・脳死の11日』(文春文庫)

心を病んで自死を図り、意識が戻らないまま脳死状態になった25歳の次男・洋二郎さん。そのそばで苦しみながら生と死について考え抜いた柳田さんによる11日間の魂の手記。

作/ローレンス・ブルギニョン 絵/ヴァレリー・ダール 訳/ 柳田邦男  文溪堂  1650円

作/ローレンス・ブルギニョン 絵/ヴァレリー・ダール 訳/ 柳田邦男 文溪堂 1650円

『だいじょうぶだよ、ゾウさん』

死期を悟った年老いたゾウと、ゾウと別れたくない若いネズミ。成長したネズミはゾウのため、ある決心をする。こんな最期が迎えられたらと思わされる、切なくも心温まる名作。

作/ティエリー・デデュー 訳/柳田邦男 講談社 各1650円

作/ティエリー・デデュー 訳/柳田邦男 講談社 各1650円

『ヤクーバとライオンⅠ 勇気』
『ヤクーバとライオンⅡ 信頼』

アフリカの少年ヤクーバは、一人前の戦士になるため、一人でライオンを倒して勇気を示さなければならなかったが......。「本当の勇気とは何かを問う物語です」と柳田さん。

修造の健康エール

9歳で焼夷弾の雨を見て、「死ぬかもしれない」と思って以来、常に死を身近に感じてきた柳田先生。息子さんが自死を図るという想像もできないほどつらい経験も経て、米寿目前の今は、とてもお元気そうに見えました。毎朝自らサラダを作って食べ、新しい本の執筆をされ、「精神性の命のカーブは上昇し続ける」と熱く語られる。

お話のなかで特に印象に残ったのは、先生が絵本の訳に用いた「だいじょうぶ」という言葉です。「死が近い人も、そのそばで支えている人も、みんな大丈夫だよ」という温かで勇気の湧くメッセージが、「健康画報」の最終回にぴったりだと感じました。

最後に、これまで貴重なお話をお聞かせくださった23名の方々と、家庭画報読者の皆さんに心から感謝申し上げます。また元気でお会いしましょう!


松岡修造さん(まつおか・しゅうぞう)
1967年東京都生まれ。1986年にプロテニス選手に。1995年のウィンブルドンでベスト8入りを果たすなど世界で活躍。現在は日本テニス協会理事兼強化育成本部副本部長としてジュニア選手の育成・強化とテニス界の発展に尽力。一方で、テレビ朝日『報道ステーション』『ワイド!スクランブル』、フジテレビ『くいしん坊!万才』などに出演中。『修造日めくり』はシリーズ累計210万部を突破。近著に『教えて、修造先生!心が軽くなる87のことば』。ライフワークは応援。公式インスタグラム/@shuzo_dekiru

この記事の掲載号

『家庭画報』2024年04月号

家庭画報 2024年04月号

撮影/鍋島徳恭 スタイリング/中原正登〈FOURTEEN〉(松岡さん) ヘア&メイク/大和田一美〈APREA〉 取材・文/清水千佳子

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