競技の垣根を越えて交流する楽しみ
僕は選手村に入る前から、「どれだけ早くみんなと仲良くなれるか」ということに夢中で、我ながらすごかったと思うのは、入村前に日本選手の顔と名前、競技を全部覚えていたことです。テニスのツアー中、ホテルにいる時間に、事前にいただいた代表選手名鑑を見て頭に叩き込みました。暇だったんですね(笑)。
おかげで顔を見たら名前と競技がぱっと浮かぶようになり、選手村では日本選手を見つけるたびに、少し離れたところにいても、「○○さん、ヨット!」などと声をかけて、その競技のジェスチャーをしました。あまりメジャーじゃない競技の選手などは、「え、僕のことを知ってるの?」という感じで嬉しそうな反応をしてくれて、僕もすごく嬉しかったですね。
選手村では、僕は大体食堂にいて、いろんな選手と話をしていました。なかでも、バレーボールの大林素子さんとは3大会とも一緒だったから、女子バレーの選手たちとはよく話をしましたね。アトランタ大会で女子バレーチームが不調だったときは、選手たちに声をかけて話を聞いたこともあります。
そんなことをしていたためか、次第にいろいろな競技の選手たちが、自分が出る試合のチケットを持って「応援しにきてください」といってくれるようになりました。そこで皆さんの試合会場に行って応援したら、楽しくて! 頑張っている人を応援するのが大好きになりました。これが僕の応援人生の原点です。
海外の選手との交流も楽しかったですね。思い出すのは、中国のウエイトリフティングの選手が朝からステーキを食べていた姿です。何枚も重ねたステーキをがーっと豪快に食べる様子は、もう漫画の世界。目が離せなくなって、その選手の前の席に座って、紙に「ウエイトリフティング」と書いて見せたら、すぐに仲良くなりました。
国内外を問わず、プロスポーツ選手のなかには選手村に入らないでホテルで過ごす人もいますが、錦織 圭選手は選手村に滞在します。彼はいつもホテルに泊まって転戦しているので、ほかの選手たちと交流できる和気藹々とした環境が新鮮で楽しいのでしょうね。
ベストな環境とはいえない宿泊事情
僕自身は選手村というと、楽しかったことばかりが思い出されるのですが、選手によっては、大変だったことのほうが印象に残っているかもしれません。世界中から集う大勢の選手(東京2020大会はオリンピックが1万1090人、パラリンピックが4400人の予定)の大半が生活する場を用意するのは大変なことで、いろいろなことが起こります。
たとえば、ソウル大会では日本選手団が宿泊した25階建ての建物にエレベーターが1基しかありませんでした。しかも、そのエレベーターが小さくて、競技用のラケットや何かを持っていたりすると、すぐに一杯になってしまう。一応、5階以上に宿泊している人しか使ってはいけませんと書いてありましたが、焼け石に水ですよね。
2016年のリオ大会では部屋のシャワーが出ないとか、トイレの水が溢れるといった水回りのトラブルが多く、そのために部屋を変えざるをえなかった選手もいました。そういう、競技以外のことで心身を消耗させられた選手たちは、かわいそうでした。
ただ、日本選手には「ジャパンハウス」があったので助かったと思います。ジャパンハウスは日本の魅力をアピールする目的で、日本オリンピック委員会(JOC)と東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会、東京都、日本パラリンピック委員会(JPC)が中心となって開設した施設でしたが、不測の事態に備えて、シャワー設備なども備えていたのです。そのあたりはさすがだと思いました。
東京2020大会の選手村についてはまだ詳しいことが発表されていませんが、あまり高いビルはなさそうです(※一番高いビルが18階建ての予定)。どの選手にも、選手村ではできるだけ快適に楽しく過ごして、ベストなパフォーマンスを発揮してほしいものです。
みんなでつなげよう東京2020への“和”と“心”
コラムの締めは毎回、僕のメッセージを凝縮した一文字の書。“心”がすべての根っこにある!という思いをもとに書いています。第6回は「楽心」。代表選手たちには選手村での時間を楽しんでほしいという思いを込めて書きました。