インドの人口の7割以上(約10億人)が信仰しているヒンドゥー教。その特徴として、もっとも知られているのがカーストという身分制度だろう。生まれながらに身分や職業が規定されているこの制度は、インドでも1950年に憲法で廃止されたものの、今も結婚や職業の選択において、さまざまな因習や差別を残しているという。
『あなたの名前を呼べたなら』は、階級差がもたらす不平等について幼少期から違和感を抱えていた、ムンバイ出身のロヘナ・ゲラ監督が、この現実に問いを投げかける長編デビュー作だ。
インド社会の課題を浮き彫りにする、上位階級の人たちが少なからず衝撃を受けるであろうテーマについて、“この作品を通じて対話が生まれ、変化に向けての小さな一歩になれば”とゲラ監督は話す。
――『あなたの名前を呼べたなら』は静かなトーンの作品ですが、そこに描かれる恋愛は、階級意識の強い人たちには衝撃的な内容だったのではないかと思います。インドの人たちはどんな反応を示したのでしょうか。まだインドでは劇場公開はされていないのですが、国内での公開に先駆けて、ロンドンやメルボルンなど海外で開催されたインド映画祭での反応を見ると、観た人は強い感情を掻き立てられているようでした。こうした階級差の問題については、多くのインド人のなかに、私と同様に重い感情があるのでしょう。だからこそ、そのことを私なりに誠実に描いたこの映画を観て、心を動かされたのではないかと思います。
――キャストやスタッフは、脚本をどのように受け止めていましたか。スタッフはみんな、私が描こうとしていることを理解してくれました。なかでも脚本に強く共感してくれたのが、ラトナ役のティロタマ・ショームです。彼女は自分もこのシステムの一部に加担している共犯者だという罪悪感を持っているといい、脚本を読んで居心地の悪さを感じたからこそ、映画に参加したいと思ったといってくれました。
――ストーリーには監督の原体験も反映されていると思います。子どもの頃、たとえばどんなことに違和感を持っていましたか。まずお伝えしておくと、インドでは裕福な家だけでなく、ミドルクラスの家にも使用人がいます。それはほとんど搾取といえるほど、彼女たち使用人の賃金が安いからです。少しでもお金が払える状況であれば、家の仕事を外の人にアウトソーシングすることが一般的なんです。
映画でも描きましたが、彼女たちは椅子ではなく、地べたに座って食事をします。また、子どもの頃、土曜日はテレビで放映される映画を家族で観ていたのですが、私の面倒を見てくれていたロージーは、そのときも台所で仕事をしているので、私が“ロージーも一緒に観ようよ”といっても、家族は“ロージーは仕事だから”というだけでした。あと、彼女にも子どもがいるのに、なぜ私とずっと一緒にいるのだろう、どうして自分の子どもと一緒にいられないのかと、幼心に思っていました。自分が母親になってからはなおさらです。かつて家にいてくれた人たちとのやりとりを振り返ると、やはり何か間違っているのではないかという思いがあります。
――近年、世界的に、労働者はより高い賃金を望んで外国を目指す傾向があります。インドでも、何か変化は起きているのでしょうか。インド人が海外に出ることは容易ではないので、海外に仕事をしに行くケースは、まだそれほど多くはないかもしれませんが、たしかに家で働く人を探すことが難しくなっているとは思います。封建主義が基本にあった時代は、上位階級の人は当然のように使用人を使っていましたが、今は状況がより複雑化しています。
上位階級の女性たちは、子育ても家事も住み込みの使用人に依存しているので、お金は払うからしっかりした人を雇いたいと必死になっています。ただ、家庭の仕事をする労働者はきちんとトレーニングを受けているわけではないので、雇う側からすると、払ったお金に対してきちんと仕事をしてもらえないという不満があるし、働く側にしても、あの家の給料はこのぐらいと、すぐに賃金が話題になる。両者のあいだでフラストレーションが生じているのだと思います。