松岡修造の人生百年時代の“健やかに生きる”を応援する「健康画報」 世界の医療現場で、手術支援ロボットを使う「ロボット手術」が増加するなか、2009年に日本初の婦人科ロボット手術を成功させた、井坂惠一先生。患者にも医師にも優しいというロボット手術とはどんなものなのか? 70歳を過ぎた今も精力的に手術を行い、後進を育成する先生の健康法とは? 松岡さんの繰り出す質問の数々に、井坂先生は飾らずに答えてくださいました。
前回の記事はこちら>> 手術支援ロボット「ダビンチ」の前に座る井坂惠一先生と、興味津々の松岡さん。先生が副院長を務める東京国際大堀病院にて。手術後すぐの取材だったため、松岡さんが「お疲れですよね」と気遣うと、「全然大丈夫ですよ。ダビンチの手術は座ってできるので、体が楽なんです」と井坂先生。医師、東京国際大堀病院ロボット手術センター長 井坂惠一先生
井坂惠一先生(いさか・けいいち)1951年福島県生まれ。東京医科大学卒業後、スイス留学、イギリス留学を経て、2003年に東京医科大学産科婦人科学主任教授となる。日立製作所日立総合病院ロボット手術センター長を経て、2020年から東京国際大堀病院の副院長兼婦人科部長兼ロボット手術センター長に就任。日本婦人科ロボット手術学会初代理事長、日本ロボット外科学会理事。著書に『ロボット手術と子宮がん』。日本で初めて手術支援ロボット「ダビンチ」を使った婦人科手術を成功させた。医師が座って行える画期的なロボット手術
松岡 井坂先生は日本におけるロボット手術の第一人者でいらして、現在も手術なさっているそうですね。
井坂 5年ほど前に退官した大学病院にいたときよりしていますね。
松岡 今のほうが多いんですか?
井坂 ええ。以前は月に5、6件でしたが、今はこちら(東京国際大堀病院)のほかに4つの病院へ行っていて、合わせると、月に20件くらい手術していると思います。
松岡 3倍以上ですね! 先生のお立場なら、もっと楽をする選択もあると思うのですが、どうしてそんなに手術されるんですか?
井坂 昔から頼まれたら断れないんです(笑)。もっとも、自分が手術をするばかりではなく、後進の育成もしなければいけないと気づいてからは、そちらにも力を入れています。
松岡 そんなにお仕事をされて、お疲れになりませんか。
井坂 やはり若い頃とは違って疲れますね。でも、ロボット手術だと、疲れ方が全然違うんです。
井坂 悪性腫瘍(がん)の内視鏡手術などは60歳を過ぎると辛いものなんです。手術で何時間も立ち続けると疲れるし、集中力も落ちてくる。目もよく見えない。だから、定年間際の教授は手術が下手な人が多いですよ。
松岡 先生、ずいぶん厳しいことをおっしゃいますね(笑)。
井坂 でも、本当に危ないですから。悪性腫瘍の内視鏡手術は難しいので、一人前になるのに20年、30年かかります。ところが、せっかく一人前になっても、加齢による視力や体力の衰えで短い年月しか手術ができないという現実がある。もったいないですよね。でも、手術支援ロボットのダビンチを使えば続けられるんです。まず、座ってできるのが大きい。
松岡 そんなに違いますか?
井坂 違います。あと、ダビンチのカメラは自分で思ったところに移動できて、いくらでも拡大できるから、目が悪くても大丈夫なんです。カメラにぶれ防止機能がついているのもいい。カメラを助手に持ってもらうと、どうしてもかすかに震えてしまいますから。僕はロボット手術をしていなかったら、65歳くらいで手術はやめていたと思いますね。
松岡 今も手術ができるのは、ロボットのおかげということですか?
井坂 はい。同級生からは、まだ手術しているのかと驚かれますが、僕はロボット手術に出会えて、非常にラッキーだと思っています。
松岡 ダビンチとの出会いで、よりよい手術ができている、自分も進化していると感じられますか?
井坂 そうですね。今も日々、「こんなこともできるのか」といった発見があり、楽しいですよ。だから、月に20件でも苦になりません。
松岡 先生にとって、ダビンチとはどういう存在なのでしょう?
井坂 そうですね......恩師ですかね。
松岡 恩師⁉ ご自分よりも上の存在なんですか?
井坂 いろいろ教えてくれて、僕らが今までできなかったことをどんどんやらせてくれますから。