アレクサンドル3世橋から望むエッフェル塔。 2024年のパリ五輪に向けて、大規模な外装工事が進行中。来秋には、これまでよりもゴールドに近い色に、化粧直しされる予定。涙と笑い コロナ禍のサンジェルマン
人間力溢れるパリの街
文・写真/櫻井紅絹
パリに暮らして三十余年が経ちました。振り返ると、美しいこの街での実際の暮らしは、不便なことが多く、頻繁に起こるストライキやデモによる交通の混乱、臨時休業など、一日が予定通り終わることは珍しいほど。
けれどその度に、フランス人の「生きる力」に魅せられてきました。土壇場に強く、行き当たりばったりを楽しむ余裕、何があってもめげず、驚くほど気が長い。そして、いかなる状況でも悠然と自分の生活を貫く姿勢。
そんな気質は、ロックダウン下でもいかんなく発揮されたのです。
鏡面のようなセーヌ川の水面に映るオルセー美術館。三十余年のパリ生活でこれほど澄んだセーヌ川を見たことがない。普段は入館者の列でごった返す閉館中のオルセー美術館。カフェやレストラン、美術館はすべて閉まり、魔法のように街から人影が消え、「外出は自宅から1キロ以内、1時間以内」という厳しい条件が課されました。自分の住所と外出目的を記した「外出証明書」を手に家を出ると、この街の愛すべき、あの路上生活者のムッシューの姿もない、無人の大通りを歩いていきました。
サンジェルマン・デ・プレ教会の入り口で、ポリスに証明書のチェックを受けて中に入ると、そこではボランティアのマダムたちが家を失った人々にパンとジュース、マスクと消毒液を配っていました。長蛇の列に目を向けると、嬉しそうに番を待つ件のムッシューを見つけ、ほっと胸をなでおろしたのでした。
サンジェルマン・デ・プレ教会内部「マスク着用義務」の立て札。同教会広場にて、外出証明書をチェックするポリス。日曜日の朝、ミサに出るために礼拝堂に着くと、人数制限のため、遅く着いた私は入れませんでした。隣にも老人が寒空の下、中に入れず立っていました。すると、スマホを片手にイヤホンをつけたマドモアゼルがそれに気づき、「私は外で大丈夫だから!」といって、自分の席を譲ると、タバコに火をつけながら礼拝堂を出ていく、そんな光景に癒やされました。
老舗出版社の編集者が多く集う「カフェ・ド・フロール」も閉店中。人気のないサンジェルマンからルーヴル美術館へ車で抜ける。ある閉店中のブティックの軒下では、本棚を整理した際に出てきたであろう古い本が、通りがかりの人が持ち帰れるように並べられていました。
その一冊を手に取った、外出許可の一項目である「犬の散歩」中の青年が私を見ると、「これおすすめだよ!」と詩集を手渡してくれ、温かな気持ちになりました。
いつもは人や車で活気溢れるサンジェルマン大通りも無人に。閉店中のブティックの軒先で、犬の散歩中に本を選ぶムッシュー。薬局やスーパーに行くと、見ず知らずの私に「ロックダウン中は何をしている?」と話しかけ、身振り手振り、自分の家族の話など滔々と話しだす人も。お喋り好きで人恋しい彼らは、隙あらば隣人に話しかけ、限られた外出時間を精一杯に楽しんでいたのです。
暖炉の煙突が連なるサンペール通りを見下ろす。日本よりはるかに厳しい規制をものともせず、何とか楽しもうとするユーモアのセンス、手に手を取って困難を一緒に乗り越えようとする連帯感、個人主義と他人へのリスペクトが絶妙のバランスで共存しているフランス人の、素朴で飾らないヒューマニズムに触れた不思議に清々しい日々でした。
フランスの掲げる「自由・平等・博愛」の精神を地で行く光景を目の当たりにして、涙したり笑ったり。暖炉の煙突が連なる屋根を眺めつつ、ロックダウン下のパリで、思いがけず神様から受け取ったプレゼントを胸に、必ずや来る終息の日まで感謝を持って過ごしたいと思っています。
櫻井紅絹 (さくらい・もみ)ジュエリーデザイナー。幼稚園から短大まで学習院で学ぶ。21歳で渡仏、E.A.ペナのアシスタントを経て独立。1999年、サンジェルマンにブティックをオープン。日本での販売は和光各店およびオンラインストア、サンモトヤマ軽井沢ほか。©Gilles Perrin