【不死鳥のような精神力と理想に燃えるベートーヴェン】
音楽の神アポロンのごとく、パルナッソス神を背景に右手を大きくひろげ、左手を竪琴に添えたベートーヴェン。1802年31歳で書いた“ハイリゲンシュタットの遺書”の翌年に描かれたもので、自らを鼓舞するようなエネルギーに満ちています(ベートーヴェン博物館に展示)。「彼の音楽はすべて好きです」心地よく響く低音ボイスで、ベートーヴェンへの大きな愛を語るネルソンス氏。音楽家の両親を持ち、幼少期はピアノを習い「月光」「熱情」ソナタも楽しんでいたそう。現在若手トップ指揮者として世界的に活躍。2020年ウィーン・フィル・ニューイヤーコンサートが大きな期待を呼んでいます。指揮者 アンドリス・ネルソンスさんが語る
「ベートーヴェンの音楽は世界の森羅万象を表す」
「ベートーヴェンは、私にとって特別な存在です。彼の曲はこの世界の森羅万象や、時空を超えた普遍的なものに溢れています。
よく勝利や栄光の余韻を残して『ダーン!』と終わりますが、ご存じのとおり、彼の人生は想像を絶する悲劇に彩られていました。彼にとって音楽は過酷な運命に対する薬であったのではないでしょうか。だから交響曲五番、七番、九番などに“歓喜”が盛り込まれているのです。
そんな力強い表現力や精神力を持ちながらも、心の根は繊細でロマンに満ち、『月光ソナタ』や『第九』の第三楽章などには天や神との対話も感じられます。そんな彼の音楽や人間的な強さに、私は感銘を受けています。
ベートーヴェンは音楽でも革新的なことに挑み、交響曲も人生のさまざまなステージで書いていますが、そのたびに書法が変化しています。
『第九』で合唱を入れたのも革命的ですし、理想主義を掲げながら怒りの感情も表現する。そこがまた魅力的に感じます。
さらに、彼の音楽は聴き手自身にも跳ね返ってきます。『運命』を聴いた人が、ベートーヴェンのそれだけでなく、自分の運命とは何か?に思い至らせてくれる。訴えかける力がとても強いのです。
今年、ウィーン・フィルと交響曲全集を録音しました。ウィーン・フィルの定評ある音作りや演奏技術を踏まえつつ、私なりに、ベートーヴェンが音楽にどんなメッセージを込めたのか運命?勝利?悲劇なのか? 音と音の行間を捉え、どのような動機でどんな状況にありながらこの音楽を作ったのかを解釈しました。天才ベートーヴェンの素晴らしい創造の軌跡をお伝えできればと思います」
アンドリス・ネルソンス指揮者。1978年ラトヴィア生まれ。現在ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団、ボストン交響楽団などの首席指揮者を務める。2019年秋ウィーン・フィルと共演した『ベートーヴェン交響曲全集』(ユニバーサル ミュージック)を発売。【いつでも思い出す「僕がこの世の光を浴びた麗しい地」】
ボン郊外を流れる雄大なライン川と、左手の“7匹の龍”の異名を持つ山稜が美しいケーニヒスヴィンターの丘からの眺めは、ベートーヴェンが生涯で最も愛した景色。ウィーンでも故郷に似た風景を求めたベートーヴェンの脳裏には、この「わが父なるライン」がありました。(ボンから車で約30分、麓からケーブルカーも可)音楽研究家 平野 昭さんが導くボン、ウィーン
ここで名曲が生まれたベートーヴェンが愛した風景
「ベートーヴェンが生まれた街ボンは、彼の全原動力が育まれた場所。ボンを知らずしてベートーヴェンを語れないほど重要です。
母と旅したライン川、その流れの向こうにある街に憧れた少年時代。神聖ローマ帝国首都ウィーンに負けじと啓蒙主義が広まる中、ボン大学で哲学やギリシャ古典を学び、フランス革命の『自由・博愛・平等』思想に共鳴した青年時代。
ベートーヴェンはまたモーツァルトの音楽を研究したうえで独自の曲を書き、21歳でボンを離れるまでに40曲ほど作曲しています。
ハイドンに才能を見込まれウィーンに移ってからは、いよいよ活動が表舞台へ。“ハイリゲンシュタットの遺書”後、交響曲第三番『エロイカ』が初演されたロプコヴィッツ侯爵邸では、王侯貴族や各界名士、またピアノの弟子で最大の支援者ともなったルドルフ大公にも出会いました。
オペラ『フィデリオ』が初演されたアン・デア・ウィーン劇場、湯治に訪れた郊外バーデン、『第九』などの楽想を練った森の小道など、至るところにベートーヴェンの面影が残っています」
平野 昭(ひらの・あきら)音楽研究家。東京藝術大学や慶應義塾大学などで西洋音楽史を講ずる一方で、新聞などでの評論、放送番組解説など多方面で活躍。著書にロングセラーの『ベートーヴェン』『音楽キーワード事典』など多数。