「あなたの人生だから、あなたが決めなさい。なんとかなるわよ」── 杉本三枝子
上高地帝国ホテルに勤務していた2003年、訪ねてきてくれた三枝子さんと一緒に。このとき、渡仏の数か月前ということもあり、「今見ると、『心は決まっている』という表情をしていますね」と杉本さん。けれど、入社して5年後の2004年、さらに自分の技術を高めるため、視野を広げるために、退社して渡仏することに決めました。このときも母は心中穏やかではなかったと思います。念願叶って入った職場をやめて、なんのアテもない海外に、言葉も通じず、お金もない状態で行くわけですから。でも、特に引き留めることもせず、「あなたの人生なんだから、あなたが決めなさい。なんとかなるわよ」と送り出してくれました。
当時は意識しませんでしたが、母がそんなふうに、ドンと構えていてくれたからこそ、私は新しい道に踏み出せたのかもしれません。これには感謝の想いしかありませんね。
母から学んだ精神が新たな挑戦の下支えに
日本を出てから、ヨーロッパには13年滞在することになりました。フランス・ブルターニュのビストロ、パリ最古の老舗パラスホテル内にある「ル・ムーリス」などの一流レストランで修業をした後、再び帝国ホテルにご縁をいただき、今に至ります。
実は、私の両親も帝国ホテルとは縁があります。ともに同じ大学の国際観光学科で学び、学生時代のインターンシップで二人ともこのホテルで働いたことがあるのです。そのため、私自身も両親とともに子どもの頃から何かの折にはよくここで食事をしました。こうした親の代からのつながりを私が引き継ぐことになったのは、思えば不思議なことです。
ご存じのとおり、帝国ホテルは130年の伝統があるホテルです。その伝統を未来に引き継ぐには、ただ守るだけではなく、新たに攻める部分が必要です。そのための土台として大切なのが、母がこれまで示してくれた「なんとかなる」の精神だと思うのです。たとえうまくいかなくても、取り返しはつく。そのために、今できることを惜しまずやる――。この意識は、海外での経験でより培われたと思います。
これからも現状に満足せず、料理を介してもっと楽しいことをして、お客さまをさらに驚かせたい。伝統という枠組みでは想像できないものを提案していきたいですね。
そして、今まで心配をかけてきた分、これからは母に私の手料理をたくさん食べてもらい、できるだけ多くの時間を一緒に過ごしたいと思っています。
母と故郷に捧げる、イワシのコンフィ
銚子を代表する海と陸の幸である、イワシとキャベツのおいしさを杉本さん流に引き出した一品。3枚におろしたイワシの身を、銚子産の発酵調味料「ひ志お(醬)」とオリーブオイルに漬けた後、もとの切り身状に戻して油の中でじっくり加熱。皿に盛りつけ、その上に美しくカットしたキャベツやほうれん草で作ったリーフ、菊の花びら、木の芽をのせて。ソースは、アンチョビーのクリームソースとねぎのオイル。色合いも爽やかな一品である。忘れられない母の味 イワシの煮つけ
銚子産のイワシを使った煮つけは、幼少期から食べつけた“お袋の味”の一つ。イワシのほか、サンマやサバでも三枝子さんは同様の手順で、骨まで柔らかい煮つけを作る。
イワシの煮つけ(4人分)
●材料
イワシ(1匹80グラム)…15本 酢…適量 山椒…少々
A〔砂糖…160グラム 酒…200cc 醬油…80cc しょうがスライス…50グラム 赤唐辛子…1本〕
●作り方
(1)イワシの頭と腹わたを取って中をきれいに洗い、3~4分割して尾も切り落とす。
(2)圧力鍋にイワシを入れ、ひたひたになるくらいまで酢を入れて火にかける。最初は強火にし、圧力のピンが上がったら弱火にして約10分煮る。
(3)火を止め、約1時間常温で冷ます。
(4)鍋の水分を捨て、Aを入れる。
(5)再び圧力鍋を強火にかけ、ピンが上がったら弱火にして約10分煮る。
(6)火を止め、約1時間常温で冷ます。
(7)味の確認をして、お好みで砂糖、醬油を加える。味が均等になるように、鍋の中のイワシの上下を入れ替える。
(8)再び圧力鍋を強火にかけ、ピンが上がったら弱火にして約10分煮る。火を止め、約1時間常温で冷ます。最後に山椒を振りかける。
●ポイント
最初に酢で煮るのは、骨まで柔らかくするための裏技。
最新の圧力鍋ならもっと時間短縮できます。
取材・文/冨部志保子 撮影/本誌・西山 航
『家庭画報』2021年5月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。