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念じ、語ることが哀しみを癒やす力に。自身に慈しみの目を向ける 「慈悲の瞑想」とは

2022.06.14

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喪失の哀しみに寄り添う言葉の力 最終回(全4回) 誰にも必ず訪れる大切な人との別れ。残された人は、その哀しみにどう向き合い、どう受け止めたら歩き出せるようになるのでしょうか。手紙や日記、ノート、絵本や詩集。それらに書かれた“言葉”が、喪失の哀しみを抱えて生きる心に寄り添う応援メッセージになることもあるといいます。癒やしにもなり、光にもなる言葉の力。心の奥に大事にとっておいた、大切な人との“言葉”にまつわる愛の物語を伺いました。前回の記事はこちら>>

念じ、語ることが哀しみを癒やす力に──
心のあり方は言葉で変わる


川野泰周さん川野さんで19代目。室町時代創建の由緒ある林香寺山門から奥の本堂を望む。

臨済宗建長寺派林香寺住職・精神科医
川野泰周(かわの・たいしゅう)さん


1980年生まれ。慶應義塾大学医学部医学科卒業。精神科医療に従事した後、修行を経て2014年、実家・林香寺の住職となる。「禅僧・精神科医・マインドフルネス指導者」の三つの顔で人々の悩みや苦しみ、病と向き合う。

自身に慈しみの目を向ける
「慈悲の瞑想」の言葉


自分自身を慈しみ思いやる心こそが、大切な人を亡くされた哀しみの中にいるかたの支えになる、と私は考えています。

これを仏教の言葉で「自慈心(じじしん)」、心理学用語で「セルフ・コンパッション」といい、私自身が禅僧としても精神科医としても常に大事に携えている概念です。

自慈心から連想するのは、観音菩薩の心を描いた『観音経』の言葉「慈眼視衆生(じげんししゅじょう)」です。

「衆生(生きとし生けるものすべて)に慈しみの目を向ける心」の意味ですが、衆生には自分自身も含まれること、そして誰の心にも観音菩薩は生きていることを教えてくれています。

川野泰周さん

臨済宗建長寺派管長吉田正道老師の書「慈眼視衆生」と川野泰周さん。

この「慈眼視衆生」を体現するのが「慈悲の瞑想」です。

今はこの世ではないところにいるかたに対しても「あなたが幸せでありますように、あなたが心安らかでありますように......」と願い、次に「私が幸せでありますように、私が......」と自らのために願うのです。

このように真心から生まれる言葉は、私たちの心を変容させる力を持っています。禅語の「和顔愛語(わげんあいご)」は笑顔と優しい言葉が人の心を変えることを意味し、実践することの大切さを教えています。

遠い昔の出来事を思い出し「ありがとう」と念じる


哀しみがあまりに深く、生きる気力すら失いかけているようなとき、まず大切なのは何も考えず何もせず、ただただ心と体をやすませてあげることです。

そして少しでも気力が湧いてきたならば、故人を思い出し「ありがとう」の言葉を念じる「感謝の瞑想」が心の支えとなるであろうと私は考えます。

遠い記憶を辿って見つけ出していただきたいのは、大切な人と紡いだ昔の幸せな出来事。輪郭のあいまいな記憶ほど美しく、感謝の念を呼び覚ましてくれるでしょう。

私事ですが、先代住職の父は私が高校3年生のときに、若い頃からの慢性病が悪化して他界しました。早くから父にお経を教わっていた私は、小学校に上がると法事の席で父の横に座り、声を合わせるようになりました。

「一緒にお経を読んでくれると息継ぎが楽にできるから助かるよ」と言われたことが子ども心にうれしく、今も読経のたびにお経という宝物をくれた父を思い出します。

形見父の形見の一つ。小学生の頃に譲り受けた引磬(いんきん)。当時、父の代わりにお墓でお経を読むときに持参して鳴らした。持つたびに父への感謝の念が浮かぶという。

経本中学生のときに父から贈られた禅宗の経本。

どなたにも故人から譲り受けた“何か”があるはずです。昔の記憶を辿り、それを思い出し、携えて生きることは故人の人生を受け継ぐこと。

たとえささやかなものであっても、その何かは私たちの生きる糧になりうるのではないでしょうか。
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