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前回まで)荒れた土地を再生させるための最初の作業は、何千本という数の竹との闘いでした。腱鞘炎や蚊に悩まされる過酷な環境で、黙々と竹を切り続ける日々。やがて今森さんたちはその先に、美しい土地が甦る喜びが待っていたことを知ります。
今森光彦 環境農家への道 第6回
春を知らせる桜との出会い
(文/今森光彦)
ヤマザクラ周辺の竹をすべて取り払って気づいたのだが、この木は、土手の高みに昔の人が植え込んだらしいということがわかった。見晴らしの良い所に、ぽつりと立 つ一本桜。これは、まさに、農家の人たちに春を告げる“種まき桜”だったに違いな い。
“種まき桜”というのは、お米を水に浸し、早苗をつくる準備の時を知らせる桜のことだ。梅雨の頃に田植えをしていた当時は、ちょうど桜が咲く頃に色々な農作業の準備がはじまったのである。
春を知らせる桜といえば、アトリエの近くにもう一本ある。やはり、土手の上に立っていて、種類は、エドヒガンザクラ。こ の桜は、馬蹄形をした棚田を見下ろすよう にあり、景観的にも美しい。30数年前に なるが、この桜にはじめて出会ったとき、 こんな個性的な木に名前がついていないこ とを知って、“棚田桜”と名付けたのを懐 かしく思い出す。
こちらの記事もおすすめです【特設WEBギャラリー】今森光彦さん、美しき切り絵の世界竹藪から姿を現したヤマザクラの下に立って遠望すると、伊吹山や鈴鹿山脈が見え た。おそらく土地が荒れる何10年も前は、 周辺の人々の目にとまり、毎年春の訪れを 告げていたのだろう。燦々と降り注ぐ太陽の光を浴びて、本来の役目をとりもどしつつあるヤマザクラは嬉しそう。
西村さんが、 「この木は、今森さんに感謝しとるやろなー」と言いながら、つぼみが膨らみ始めた 梢を見あげた。これからは枝葉が広がって、 どんどん美しい姿になってゆくことだろ う。このヤマザクラにも名前をつけなければと思った。
竹藪からでてきた樹齢150年をこえるヤマザクラ。労働のあと、家族で記念撮影。 見晴らしの良い場所にあるので、シンボルツリーとして生き返った。