「第九」をもっと楽しむ 第3回(全5回) 年末が近づくと聴こえてくるベートーヴェンの「第九」。欧米では歴史的な日に演奏されるなど、世界においても特別な楽曲です。このような時だからこそ、第九のメッセージがますます心に響いてきます。
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時代の転換期に演奏されてきた第九
「第九」は歴史を語る
日本では年末に演奏されることが多い第九。世界では、特別な日に演奏する、特別な曲です。世界情勢とも切り離せないその歴史を辿ります。
中川右介さん(なかがわ・ゆうすけ)1960年東京都生まれ。作家、編集者。早稲田大学第二文学部卒業。出版社アルファベータ創業。著書に『第九』(幻冬舎新書)、『国家と音楽家』(集英社文庫)ほか多数。近・現代史を目撃してきた「第九」
第九はオーケストラの定期演奏会の枠を超え、国家的イベントでも演奏される“特別な曲”です。その第九をイベントで演奏した最初の人物が、オペラ作曲家のワーグナーでした。ドレスデンで宮廷歌劇場楽長を務めていた1846年、キリスト教の祝日「棕櫚(しゅろ)の主日」という特別なキリスト教の祝日に、祝賀イベントとして第九を演奏しました。
1905年には、ベルリンの労働者のためのコンサートで演奏。それまで貴族や富裕層のものだったクラシック音楽が、労働者に開放されました。1918年12月31日深夜11時、労働者教養協会主催のコンサートでは、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団が第九を演奏。今でいうカウントダウンコンサートです。これが日本にも伝わり、“暮れの第九”となっていきます。
ヒトラー政権になると、第九は“ナチスの音楽”へ──。大指揮者フルトヴェングラーも、不本意ながらヒトラー誕生日祝賀演奏会で第九を指揮し、ラジオ放送もされました。その録音は今聴いても凄まじい熱演です。
そして1945年9月、第二次世界大戦終戦。今度は勝利したアメリカのカーネギーホールで、大指揮者トスカニーニ指揮の下、第九が演奏されました。勝利の「歓喜の歌」として──。つまり、総力戦を戦ったナチスと連合国の双方で、第九は特別な曲だったのです。
戦争はヨーロッパの多くの歌劇場やホールを焼失させました。戦後、スカラ座やウィーン国立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニーホールなどが再建されます。そして、そのこけら落としでも第九が演奏されています。
1989年の東欧革命でも、第九は重要な役割を果たします。ビロード革命を祝うプラハでも、“ベルリンの壁”崩壊を祝うベルリンでも、そして翌年(1990年)の東西ドイツ再統一記念式典でも──。
一方、2000年、ナチスのマウトハウゼン強制収容所跡地での犠牲者追悼演奏会で、第九が奏でられました。終わっても拍手のない、まさに“鎮魂の演奏会”でした。
第九は近・現代史の重要な場面で、さまざまな意図のもと演奏されてきました。歴史に翻弄された曲といえるでしょう。しかし、第九の価値は揺るがない──、第九の方が、人類を翻弄しているのかもしれません。
1989年ベルリンの壁崩壊直後のベルリンで、12月23日、25日、レナード・バーンスタインは6つの楽団の特別編成で第九を指揮。歴史的出来事を祝し、バーンスタインは歌詞の“Freude(歓喜)”を“Freiheit(自由)”に変更した。レナード・バーンスタイン『自由への讃歌/バーンスタイン・イン・ベルリン』(ユニバーサル ミュージック)1980円