〔特集〕令和に受け継がれる文化と知恵 ブーム到来、「江戸」の底力 蔦屋重三郎など多士済々だった江戸時代中期から後期は、訪れた外国人も「日本人はよく笑う」と評するほど明るい時代でした。現代の私たちがもっと元気に楽しく過ごせるヒントは、そんな江戸の人々の暮らしにありそうです。芸術や食文化、そして生活の知恵などから、今に通じる江戸の心意気を探っていきます。
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江戸後期の風俗史の文献
『守貞謾稿』に学ぶ江戸人の暮らし
『守貞謾稿(もりさだまんこう)』とは、江戸時代後期の庶民の暮らしを詳細に記録した、いわば “事典”。180年以上前の文献でありながら、今を生きる私たちにとっても、多くの気づきがあります。法政大学名誉教授で江戸文化研究者の田中優子さんの解説で、その一部を読み解きます。
田中優子さん(たなか・ゆうこ)1952年神奈川県生まれ。法政大学名誉教授・前総長、法政大学江戸東京研究センター特任教授。専門は日本近世文化・アジア比較文化。研究領域は、江戸時代の文学、美術、生活文化。近著は『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』(文春新書)。
江戸時代後期の人々の暮らしを知るうえで、最良の資料とされる『守貞謾稿』。この文献と著者の喜田川守貞(きたがわもりさだ)という人物の素晴らしさは、どういうところにあるのでしょうか。
『守貞謾(漫)稿』喜田川守貞(1810~?年)が「専ら民間の雑事を録して子孫に遺す」として江戸後期の三都(江戸、京都、大坂)の風俗や事物を記録。絵も本人の作で全35巻(うち3巻は欠本)。
同著を「開くたびに発見がある」と称賛する田中優子さんは、「一つは、守貞の驚異的な記憶力とそれを表現する力です」と話します。
「守貞は大坂(現・大阪)で生まれ、31歳で江戸へ出てから、大坂と京都、江戸の風俗や事物を比較しながら記録し始めたのですが、絵を見るたび『よくこんなに細かいところまで』と思います」。
確かに、行商人の頰かぶりに至るまで、丁寧に描写。自分が後から調べて加筆できるようにと余白を取りながら書き進めていたところも含め、「すべてを正確に書き残す」という強い意志が感じられます。
「もう一つは、35巻にも及ぶ大作をたった一人で30年かけて作り上げたことです。同時代にも貴重な記録を残している人は何人かいます。たとえば、『江戸名所図会』は優れた名所案内ですが、斎藤幸雄とその子孫が3代にわたって絵師とともに作ったものです。また、斎藤は現代でいう区長のような職についていたので、使命感があったのだろうと想像がつきますが、砂糖商だった守貞にはそうした背景もありません」。
誰に頼まれたわけでもなく、自ら思い立ち、おそらく楽しみながら記録し続けた、その結晶なのです。
では、『守貞謾稿』に描かれている暮らしを、田中さんはどのようにとらえているのでしょう。
「江戸の町が大きく変わったのは、京都や大坂ではなく、江戸で初めて色彩浮世絵が生まれた1765年。江戸が都市文化の中心になり、人々の暮らし方や価値観に現代とつながるものが現れてきました。ですから、1837~1867年の江戸の風俗を描いた『守貞謾稿』には私たちにもなじみのある行事や事物が少なからず出ています。平安時代には人形で体をなで、穢れや災いをうつして川に流す行事だった桃の節句が雛人形を飾る行事になったのも、七夕の節句に願い事を書いた短冊を笹に飾るようになったのも、江戸後期。当時の水道システムは現在と構造が一緒です」。
一方で、人の様子はだいぶ異なるようです。
「江戸の人たちは好奇心旺盛で、創意工夫が得意で、季節の行事を楽しみ、幸せそうに笑っている。なぜ、そんなふうに生きられるのかといえば、彼らには “時間があるから” です。江戸時代はよくも悪くも役割社会。魚売りも大工も誇りを持って自分の役割を果たしますが、その日の仕事が終わりさえすれば、あとは自由時間。巷では俳諧や狂歌が盛んに詠まれ、歌舞伎も人気でした。これは町人も武士も同じです。俳諧や狂歌は平安時代の宮廷文化の流れを汲むもので、彼らにとっては遊びであり文化。私たちは日本文化というと、遊びではなく学ぶ対象ですが、江戸の人たちにとっては、もっと身近なものだったんですね」。
無論、江戸の生活には自然災害や感染症の流行など苦難も多く、いいことばかりではありません。そうわかっていても、豊かに見え、羨ましく思える江戸人の暮らしから、私たちは何を学べばよいのでしょうか。
「ひと言でいうと、『足るを知る』ですね。現代人に時間がないのは、高度経済成長期の名残で、『もっと稼げるんじゃないか』と欲張るからです。江戸時代の人は『お金は食べられないしな』と本気で思っていました。また、江戸の町は火事も多いし、地震も起こるから、持ち物は少ないほうがいい。多かったら、逃げるときに困りますから。お金を稼いだり、物を増やすより、家族仲がいいとか、初がつおがおいしいとか、銭湯が気持ちいいとか、そっちのほうがいい。もし運よく臨時収入があったら、一人で使うんじゃなくて、長屋のみんなで食べて飲んで使う。宵越しの金は持たない人たちですからね」。
最後の「宵越しの……」はともかく、時間に追われているなと感じたら、「足るを知る」と唱えて、江戸の人々に思いを馳せてみるのもいいかもしれません。