カルチャー&ホビー

「江戸」の底力──アズビー・ブラウンさん「江戸の知恵が今を生きるヒントに」

2025.02.25

  • facebook
  • line
  • twitter

〔特集〕令和に受け継がれる文化と知恵 ブーム到来、「江戸」の底力 蔦屋重三郎など多士済々だった江戸時代中期から後期は、訪れた外国人も「日本人はよく笑う」と評するほど明るい時代でした。現代の私たちがもっと元気に楽しく過ごせるヒントは、そんな江戸の人々の暮らしにありそうです。芸術や食文化、そして生活の知恵などから、今に通じる江戸の心意気を探っていきます。前回の記事はこちら>>

特集「江戸の底力」の記事一覧はこちら>>>

日本文化研究者 アズビー・ブラウンさんに聞く
江戸と今、そしてこれから ──
江戸の知恵が今を生きるヒントに

260年以上の長きにわたり泰平の世が続いた江戸時代。特に江戸後期にはさまざまな文化が大輪の花を咲かせるとともに庶民の生活にも、衣・食・住のすべてにおいて独自の知恵や工夫が生まれ、積み重ねられていきました。


1980年代から江戸時代の建築やライフスタイルを研究しているアズビー・ブラウンさんは、東日本大震災に際して、復興の手がかりは江戸時代から得られる教訓にあると提唱しました。

また、先のコロナ禍においてもパンデミック対策として、江戸の人々の疫病に対する知恵に学ぼうという気運が生まれました。

21世紀の私たちが直面する多くの課題は江戸の、ものを無駄にせず資源をリサイクルする超循環型社会 ──、そして人々が互いを思い合うコミュニティをお手本にすれば、解決するのかもしれません。

高層の建物がなかった江戸の町からは、いたるところから富士山が見えていた。街の景色が変わった現在も、富士山だけは変わらずにいる。文政元(1818)年に幕府が定めた朱引による当時の「江戸」は、東は荒川、西は現在の山手線の少し外側までの範囲であった。©佐藤哲郎/アフロ

破れた傘さえ無駄にしない徹底したリサイクル社会

「たとえば今、私たちの毎日のテーブルに上る料理。その中にメイド・イン・ジャパンの食材がどのくらい使われているか知っていますか?」と、日本文化研究者のアズビー・ブラウンさん。

2024年の日本の食料自給率はカロリーベースで38パーセント。1965年の73パーセントから60年間下降を続けており、オーストラリア、カナダ、フランス、アメリカなどが100パーセントを超えるのと比べ驚くほど低い状況です。

「幕府が鎖国政策をとっていたこともあり、江戸の人々はすべての資源を自国のもので賄っていました。輸送や保存の技術は高くありませんから基本的に近隣の生産地のものを消費していたのです」

江戸の粋な風情や江戸っ子の心意気を表す“江戸前”という言葉も、もともとは目の前の海でとれた新鮮な魚介を指していました。ほとんどの資源や素材を近場で調達できていた江戸の暮らしは、海外からの輸入に頼り輸送によるコストや二酸化炭素排出が社会問題になっている現代の私たちが手本とすべきものではないでしょうか。

「竈(かまど)の灰までリサイクル。サステナブルの意識が自然と息づいていた」

限られた資源を無駄にしないことにかけても、江戸の人々は見事だったとアズビー・ブラウンさんは語ります。

「江戸では使い終わったすべてのものに次の道がありました。鉄の鍋ややかんを修理する鋳掛屋(いかけや)が携帯用の炉とふいごを担いで町々を回っていましたし、醬油や酒を入れる樽もリサイクルされ、新品に近いものから古いものまでを用途に応じて使い分けていました。

傘は何度も修理して使いますが、最後は竹の骨と紙に分解され、使い古しの油紙は滋養のため食されていた獣肉の包装紙として再利用。藁や木綿を燃やした灰さえも無駄にせず、灰買いの人が回収して肥料の添加物や染め物の定着剤として利用した。

排泄物を回収し肥料にすることで、川が汚染されず疫病の感染も拡大しにくかったと考えられています。どんなものも回収業者や再生業者がいたわけですが、子どもたちも古釘を拾ってきたら駄賃がもらえたりして、リサイクルの意識が幼い頃から刷り込まれていたようですね」

武士の俸禄はベースアップがなかったため、江戸中期以降は家計を維持するために内職を行う者も少なくなかった。傘張りもその一つで、青山の鉄砲百人組では骨に紙を貼り油を塗って仕上げる作業が組織的に行われた。

最小限の居住空間で築く密度の濃い人間関係

17世紀には当時の人口では世界一の100万人都市にまで拡大していた江戸。しかし、その面積の7割は武家屋敷と神社仏閣が占め、庶民の多くは町家や狭い長屋に暮らしていました。

「狭くて人口密度が高くても、長屋の住人たちは賑やかで快適に暮らしていたようです。長屋という共同体の中での連帯感や帰属意識は極めて強く、五人組制度による自治が行われ、争い事も住人同士で解決していました。人に迷惑をかけずに助け合う精神や人間関係のルールを自分たちで生み出していたのですね。井戸端での情報交換や、ちょっと田舎であれば囲炉裏を囲んでの団欒があり、隣人や家族との交流が希薄な現代人から見ると羨ましい限りです」

「狭い長屋でも快適に暮らす。美意識と工夫がライフクオリティを上げる」

町人の居住地は町割と呼ばれる約120センチ四方の区画方式に基づいて設計されていた。現在の東京でも中央区の佃などには面影が残っている。

武士の屋敷では自給自足のために庭に実のなる樹木が植えられ、野菜などの栽培も行われていました、加えて大名から長屋の住人までを巻き込んで、江戸では園芸が大ブーム。植木市が賑わい、菊、朝顔、牡丹など、品種改良した名品を披露する「花合わせ」と呼ばれる品評会もしばしば開催されていました。

「限られた空間を緑化するために工夫を凝らし、楽しんで暮らしていたのです」

「江戸は世界屈指の園芸天国。商家の中庭や長屋の軒先で町民たちは緑を楽しみ、町を緑化していた」

古くから咳止め、解熱、利尿などの薬として用いられていたほおずきは江戸時代に観賞用として普及した。東京・台東区の浅草寺では現在も7月の縁日の頃に、明和年間(1764~72年)から続く「ほおずき市」を開いている。

江戸の人々に学んで、私たちはどう変わるべきか

明治維新とともに欧米の工業化による大量生産の概念が導入され、慎ましくも豊かであった江戸の文化は消えていきました。

「関東大震災と第二次世界大戦を経た今の東京には、江戸時代の建物はわずかに寺院などが残るのみ。武家屋敷も商家も長屋も、みんなコンクリートのビルやマンションになってしまいました。ニューオーリンズはアメリカでも古い街なので、私が育った家は100年前の建物でしたし、築200年を超えた家も珍しくありません。

ヨーロッパには解体した建築物の廃材を資源として再利用できないかを考える“Building as Material Banks”というプロジェクトがありますが、これに倣い古い建物をリノベーションしながら再生していくことでサステナブルな東京に生まれ変わることはできないものでしょうか」

江戸時代には森林を保護する厳しい取り決めもあり、木々の成長と伐採のバランスも保たれていました。

「囲炉裏を囲み井戸端に集う。他者への思いやりを育むコミュニティが存在した」

暖房・調理・照明の機能を備えた囲炉裏は家族団欒の拠点でもあった。ただし常に火事の危険があった江戸の都市部では用いられなかった。

40~50年前にもう少し真剣にエネルギー問題や森林保護に取り組んでいたら日本は変わっていたかもしれません。燃料が木材から石炭や石油に移ったあたりから環境は壊れ始めてしまいました」

資源、環境、生活 ── さまざまな問題を抱えて転換すべき時を迎えている現代の日本。江戸には学ぶべき事柄が多くありますが、何もかもを江戸時代のライフスタイルに戻す必要はなく、一人一人が少しずつでもよい部分を取り入れていけば変わることができるはずだとアズビー・ブラウンさんは提言します。

「江戸時代にはお手本にしたいヒントがたくさんありますが、今、私たちが考えるべきは子や孫の代だけでなく、200年後、300年後の人たちが過去を振り返ったときに同じように“よいご先祖さま”だったと思ってもらえる社会にできるかどうかではないでしょうか。江戸の人たちの知恵や工夫、精神性を見つめ直して日本らしい在り方を探り、未来へとつないでいくことができたらいいですね」

アスビー・ブラウンさん
1956年アメリカ生まれ。日本文化研究者。2004~18年金沢工業大学未来デザイン研究所所長。アメリカ・ニューオーリンズ生まれ。イエール大学で日本建築を学ぶ。1985年より日本在住。1988年、東京大学大学院工学部建築学科修士課程を修了。著書に『江戸に学ぶエコ生活術』ほか。

(次回に続く。この特集の記事一覧はこちらから>>

この記事の掲載号

『家庭画報』2025年03月号

家庭画報 2025年03月号

取材・文/清水井朋子

  • facebook
  • line
  • twitter

12星座占い今日のわたし

全体ランキング&仕事、お金、愛情…
今日のあなたの運勢は?

2025 / 03 / 19

他の星座を見る

Keyword

注目キーワード

Pick up

注目記事
12星座占い今日のわたし

全体ランキング&仕事、お金、愛情…
今日のあなたの運勢は?

2025 / 03 / 19

他の星座を見る