30歳から職人になるのは難しい
その時の様子を澤田さんは次のように話します。「決意を大村先生に伝えると『あんた、いくつやった?』と聞かれ、『30歳です』と答えました。内心では『頑張りや』と励ましてもらえると思っていたのに『難しいやろうなあ……』と言われてしまいました」。
辛い一言は菓子職人の世界の厳しさを知っているからこその、彼女の本心だったに違いありません。がっかりしたのもつかの間、その場に奇跡のような出来事が起こります。
「ちょうど横で流していたテレビに、ミュージシャンの方が出演していて……。確か、来生たかおさんだったと思います。なんと『いやぁ僕が仕事を本気でやりだしたのは30歳からですよ』とおっしゃったのです。それで思わず、2人で顔を見合わせたら先生が『あんた、いけるえ』と(笑)」
以降もさまざまな場面で澤田さんは何度も「あんた、いけるえ」の一言を聞いています。つまり、これが大村さんの太鼓判を意味する決まり文句だったのです。
学生時代はアメリカンフットボールの選手だった「澤正」3代目店主の澤田正三さん。若い澤田さんが奮起して家業に取り組む姿を見て応援したい気持ちが、著書『美味しいもんばなし』(鎌倉書房)に述べられています。30歳で職人の道を決意すると、当初はお兄さんと共に家業に取り組み、のちに澤田さんが3代目を襲名。それまで卸売を主体としていたのを小売りに切り替えるなど、新しい仕事に挑戦を始めました。なかでも大きな変化はそばを使った生菓子でした。当時、有名菓子店のあんこを手がけていたご近所の名人に餡づくりを教わりながらのスタート。
「始めてすぐに『あんたの炊くあんこはおいしいわ! 生風庵の雪餅(※)より美味しいえ』と先生に言ってもらえて、天にも昇る気持ちでした。今思えばブタもおだてりゃで、上手に先生にのせてもらっていたのだと思います(笑)」
※生風庵はかつて京都・鞍馬口近辺にあった和菓子の名店。大村さんはこちらの雪餅(白いきんとん)が大好きでした。そばを使ったいちご餅。なかには上質な餡といちごが入っています。220円(税込み)。写真はそば茶寮でコース料理の最後に供される場合のもの。茶寮では小さな短冊を添えて供されています。※茶寮のデザートは時季により異なります。大村さんが説いたプロの心得
作った生菓子を試食してもらっては感想を聞く。いわば、大村さんが生菓子の監修役をしていたわけです。ところが、最初に大村さんに褒められたことで気をよくした澤田さんは、ついつい欲が出て試作品を作りすぎてしまいます。5種類くらい持っていっても、その中から大村さんは一つしか選びません。作ったアイディアが惜しくて澤田さんが「でも、これもあれも」と押し売りをしてしまうと、大村さんが一喝。その言葉は澤田さんの胸にいまも残っています。
「プロは選ぶのが仕事! 捨てるのが仕事や。なにを削るか? 捨てる力(を持つの)がプロや。私かて、書きたいもんはいっぱいある。そやけど、すべては書けへんのや」
惜しむ気持ちを捨て、無駄を極限までそぎ落として、初めてプロの仕事が成立すると、澤田さんは気づかされたのです。