大村さんの指導を仰いだ、そば打ち
また、しばらくすると澤田さんはそば打ちにも挑戦し始めました。毎日そばを打ち、大村さんが試食するという日が2年ほど続きますが、満足してもらうことはできません。
「先生はよく『私は皆から甘いものが好きと思われているけど甘党やないで。美味しいもんしか食べへんのや』とおっしゃっていました。不味いものはお嫌いなはずなのに、毎日、私の打つそばを完食し、器を洗って返してくださる。私は毎日、不味いものを食べさせていたのです。こんなことをしていてはいけないと思って、性根を入れ替えてそば打ちに精進しました」
2002年にオープンした「そば茶寮 澤正」。そば菓子処から、徒歩5~6分ほどの距離にあります。そば茶寮の店内。明治時代の貿易商が昭和初期に建てた大邸宅の接客棟で、京都市の文化財にも指定されています。他にはないそば会席を提案
味の修業もできるようにとの配慮からでしょうか、大村さんは澤田さんを京都の名だたる料理店へ連れていき、さまざまなことを経験するチャンスを与えています。
修業の末に澤田さんはそば会席を始めました。最初はそば菓子処の2階で練習し、大村さんもそちらを訪れては試食をしていたそうです。ちょうどこの頃、大村さんはバリ島旅行中に脳梗塞で倒れ、車いす生活となりました。1995年、彼女はバリ島へ移住し、気候の良い春と秋だけ京都へ戻る生活を始めます。澤田さん一家は、店の仕事の傍ら、帰国中の病院への付き添いや身の回りの世話なども引き受けていました。そば菓子処の2階で食事をする際は、澤田さんが大村さんを背負い階段を上ったといいます。
1999年、大村さんの訃報を聞いた、澤田さんは当初は非常に冷静に受け止めていたそうです。それがしばらくして(大村さんから受け取っていた)原稿を見ていると、なぜか目がかすみ、字が読めなくなりました。「自分でも気づかぬうちに涙があふれていました。私の心と体が大村さんの死を受け止めるのに、時間を必要としていたのを後になって理解しました」と澤田さん。
その後、澤田さんは2002年には貿易商の接客棟だった邸宅を買い取り、創作そば会席を提供する「そば茶寮」をオープン。澤正は3代目になり、菓子だけでなく料理でもそばの魅力を提案することに邁進しています。大村さんが、澤田さんと澤正の進む道を照らしたと言ってもよいのではないでしょうか。
そば会席のお品書きには、大村さんが澤正のために書き下ろした随筆が月替わりで記載されていました。澤田さんの手元には、当時の原稿が今も残されています。最後にもうひとつ。そば菓子の良い点を書くならば日持ちのいいことでしょう。これなら旅の土産には打ってつけです。「昔、大村しげさんという随筆家がいらしてね」とお話を添えて、彼女が愛したそば菓子を友人や家族にお渡しになってはいかがですか。
Information
そば菓子処 澤正
京都府京都市東山区今熊野宝蔵町10‐8
川田剛史/Tsuyoshi Kawata
フリーライター
京都生まれ、京都育ち。ファッション誌編集部勤務を経てフリーライターとなり、主にファッション、ライフスタイル分野で執筆を行う。近年は自身の故郷の文化、習慣を調べるなか、大村しげさんの記述にある名店・名所の現状調査、当時の関係者への聞き取りを始める。2年超の調査を経て、2018年2月に大村しげさんの功績の再評価を目的にしたwebサイトをスタートした。
http://oomurashige.com/ 取材・文/川田剛史 撮影/中村光明(トライアウト)