「ことばの世界」 “作品は、まったく何もないところから生まれるものではなく、先行する文学作品の影響をさまざまなかたちで受けながら書かれるもの”とは、多くの書き手が口にすること。作家が立ち返る場所としての大切な本、繰り返し読んでしまう再読の書を挙げてもらいます。
管 啓次郎さんのインタビュー(前編)はこちら>>> フランス語、英語、スペイン語から日本語への翻訳を手がけるマルチリンガルな管さん。うかがった明治大学生田キャンパスの研究室は、壁のほぼ全面が本棚で、それでも収まりきらない本の山々が、床や机の上にうずかたく積まれている。
ホワイトボードに日付とともに書かれている横文字は、今、翻訳を進めている本のタイトルなのだろうか。書棚の本の大半は洋書で、実際、普段の読書の9割は、フランス語と英語の原書だという。
――管さんは海外の詩祭、ワークショップなどによく招聘されていますが、海外の詩人とのやりとりのなかで何か感じることはありますか。究極的に詩の世界はひとつで、人種も言語も関係ないけれど、詩はいろいろな題材、スタイルで書けるわけで。地水火風をモチーフに書いていることをストレートにわかってくれる人もいれば、あまり接点を持てない人がいるのは、どこの国でも変わりません。たしかにこの数年、海外に行くことは多くて、今年はこれまでにパリのUNESCO本部、カリフォルニア大学ロサンゼルス校、ドイツのトリア大学、オーストラリアのキャンベラで詩を朗読し、他にも3か所ほど訪問する予定です。
――海外では、日本語以外で詩を朗読することも多いのですか。海外では日本語ではなく、英語、フランス語、スペイン語で朗読を行ってきました。9月に参加したキャンベラ大学の詩祭では、詩の小冊子をつくってもらいました。タイトルは『Transit Blues』といいます。僕にとってこれが最初の英語の詩集になります。やっとスタート地点に立てた気分です。
――近刊の『数と夕方』には、太宰 治の小説『佐渡』やミュージシャンのダニエル・ラノワの自伝『ソウル・マイニング』から引用した文章だけで構成した詩があります。これは試みとして自分でも気に入ってるんですよ。詩は歩いているときに見つかるもの、という考えを実践したのがこれらの詩だともいえます。自分のことばを一切入れず、ある本から抜き出したことばだけで詩を書いてみると、たとえば太宰自身が持っていた情緒のようなものはほとんど脱色されるけれど、そうはいっても幽霊みたいにその人はそこにいる。ダニエル・ラノワはニール・ヤングのプロデューサーなどもしているフランス語圏カナダのミュージシャンで、自伝は音楽の話が主だけれど、そこから彼の子ども時代のエピソードばかり抜き出したら、詩物語としてかなりおもしろいものになりました。この「ケベック少年」という詩と同じように、スコラ哲学の研究者、山内志朗の『湯殿山の哲学』という本から、今年は「山形少年」という詩を書いてみました。いろいろな人の自伝から、詩を書くという試みは、これからも継続していこうと思っています。
土地で生きるとは土地の水で生きること
土地が与える食物と土地の陽光で生きること
居住とはヒトの最大の冒険
アフリカを出てわれわれはそうして地球に住んできた
(中略)
もう一度いおうか、人の生活はいつも、どこでも
その場のあらゆる自然につらぬかれている
こんどはきみが住む土地のようすを教えてくれ
ワリス・ノカン、こんなことを、ぼくはきみに話したかったのだ
(『数と夕方』 「ワリス・ノカンへの手紙より」)――『数と夕方』に収められている詩「ワリス・ノカンへの手紙」からは、土地に根づいて暮らす人々に管さんが抱く敬意が感じられました。台湾の代表的原住民作家で、山の人がワリス・ノカン、海の人がシャマン・ラポガンです。東アジアの島に住むネイティブたちの生活は漢民族によって抑圧され、その後、支配者としてやって来た日本人に翻弄されましたが、そのなかでも自分たちの伝統と言語を守ってきた――この歴史の最先端にいるのが、ワリス・ノカンとシャマン・ラポガンです。彼らと僕は同世代だけど、我々の想像を絶する暮らしをして育った人たちです。ふたりとも台湾社会に同化して大学教育を受けたけれど、その後、みずから伝統的な生活に立ち返ってゆきます。ワリス・ノカンは今もイノシシ狩りをしているし、シャマン・ラポガンは魚ばっかり捕っている。彼らの作品こそ、現代の世界文学における宝石だと思っています。
――シャマン・ラポガンさんの『大海に生きる夢』は、管さんたちが主催する鉄犬ヘテロトピア文学賞の今年の受賞作だそうですね。鉄犬ヘテロトピア文学賞の歴史は2013年に遡ります。この年、十和田奥入瀬芸術祭の出品作家として、展覧会のための本を編集したのですが、この芸術祭で創作ユニット、Port Bの演出家の高山明さんと出会いました。Port Bは2013年に、東京でアジア系の人たちの歴史と記憶が残っている場所を巡る、観客参加型/巡礼型/サウンドインスタレーション型演劇プロジェクト、「東京ヘテロトピア」を立ち上げ、彼から場所を巡る物語を書く作家の選定を依頼された僕は、3人の作家とともに物語を書き下ろしました。小野正嗣、温又柔、木村友祐のみなさんです。このとき自分たちの精神的な態度を表明するためにつくったのが、鉄犬ヘテロトピア文学賞です。この文学賞は、作者に対する尊敬と連帯の気持ちを伝えるために我々が勝手に選び、作者は受賞を拒否することができない。たとえ拒否しても、我々がつくったトロフィーを、玄関前に置きに行きます(笑)。僕はこれを、プロジェクト型文学賞と呼んでいます。
――かわいくて、力のこもったトロフィーですね。このトロフィーは、選考委員のひとり、小説家の木村友祐の兄で八戸在住のオブジェ作家、木村勝一さんがつくっています。彼は八戸郊外のツリーハウスの森に工房を構えているのですが、通り沿いにこのトロフィーとまったく同じ、巨大な犬型のオブジェまでつくってしまったんです(笑)。そこにはツリーハウスのような小さな部屋があって、勝一さんがコーヒーを淹れてくれますよ。