映画『二階堂家物語』のエグゼクティブプロデューサーは、「なら国際映画祭」のエグゼクティブディレクターでもある河瀨直美さん。加藤さんと同じく奈良出身だ。――実際、外国人の監督が日本の旧家の話を書いて撮るというのは、かなりの挑戦ではないかと思います。とはいえ、映画を観る限り、特に違和感を感じませんでした。聞けば、監督のアイダ・パナハンデさんは、小津安二郎監督作品の大ファンだとか。「ええ。小津作品はもちろん、日本の文化についてもかなり勉強されていました。いつカメラを向けられるかわからないところもあって、ボーっとしていたら、いつの間にか撮影されていて、“今の表情いただきます”、なんてこともありましたよ」
――2015年の仏カンヌ国際映画祭「ある視点」部門の“期待すべき新人賞”と、なら国際映画祭2016の最高賞に輝いた経歴を持つパナハンデ監督。日本語が堪能な方なのですか?「いえ、現場でのやりとりは主に英語でしたね。ただ、僕らが普段しゃべっている日本語のリズムをとてもよく聞いていて、最初の頃は“日本人はカメラの前に立つと、なんで急に台詞っぽく変えてしまうの?”“違和感がある。もっと自然にしゃべってください”と結構言われました。“歌舞伎の影響なのか?”とかね(笑)。でも、こっちは台本どおりにしゃべってるだけなんですよ。で、よくよく話し合ううちに、それは翻訳の仕方によるものだと気がついた」
――それはどういうことですか?「日本語はかなり省略しても通じる言語だから、我々は普段会話をする時に主語や何かをかなり省略してしゃべりますよね。でも英語で書かれた台本はそうはなっていないから、それをそのまま日本語に訳すと説明的になるんですよ。たとえば、“君が○○くん?”で済むところが、“君の名前は○○くん?”になったり」
――なるほど!「現場で監督と話をしながら、そういうところはかなり削っていったし、日本語の特性からくるニュアンスの違いを摺り合せる作業も結構やりましたね。たとえば、おそらくペルシャ語も英語の“I”と同じように、1人称は1つしかないと思うんだけれども、日本語には“私”“僕”“俺”……と色々あって、翻訳者がそのどれを選ぶかで、僕らがつくるキャラクターまで違ってくる。そこが監督にはあまり理解できなかったみたいで、台本に“俺”と書かれていたから、こっちは“俺”っていう感じの人をイメージして演じていたら、現場で“ニュアンスが違う”と言われたり」