●平田俊子さんの再読の書小学校の授業で草野心平に、中学のときに『智恵子抄』で高村光太郎と出会った平田さんは、20歳の年の差をこえて親しかった光太郎と心平の関係や、二人の生き方にも興味を持っているという。
“同時代の詩人・作家同士のつながりや、人間関係を知ることで、作品への興味や理解が深まるんです”という平田さんが、それぞれ生き方も含めて語ってくださった、三人の作家の魅力とは。
●『草野心平詩集』 入沢康夫編(岩波文庫)草野心平は寂しい生い立ちでしたが、スケールが大きくてあたたかくて燃えるような生き方をした人です。無名だった宮澤賢治の才能をいち早く見抜いたのも心平です。
生き物が好きで、お酒も好きで、自分で居酒屋を始めます。書くことには貪欲で、詩だけでなく、散文もおもしろいんですよ。みんなに「心平さん」と呼ばれて慕われたようです。高村光太郎のことを書いた『わが光太郎』(講談社文芸文庫)もいいですよ。
●『新潮日本文学アルバム 高村光太郎』 (新潮社)光太郎は孤独に生きた人です。世間では、光太郎=『智恵子抄』と認識されていますが、光太郎にとって不幸なことかもしれません。光太郎は、自分は詩人である前に彫刻家だと自認していたようですね。
光太郎の詩も散文も観察が行き届いていて、彫刻家のまなざしを感じます。光太郎の木彫の鯰や蝉なども、本当に素晴らしいんですよ。光太郎のことを話し始めると何時間あっても足りません。妻が精神を病んだこと、たくさんの戦争詩を書いたこと、アトリエが空襲で焼けたのがきっかけで岩手に移住したこと、いろんな試練があった人です。
本当は光太郎の全集を挙げたいんですが、全生涯という意味で『アルバム』を持ってきました。
●『林芙美子随筆集』 武藤康史編(岩波文庫)林芙美子は心平と同じ1903年生まれです。自分の体験をもとに書いた『放浪記』が大ベストセラーになったあと、自力で文壇をのし上がっていきました。戦時中、戦地を訪ねて原稿を書いたことなどは、光太郎とも重なります。
意地悪な人だったらしくて、林芙美子を嫌っていた人もたくさんいたみたいです(笑)。依頼を断ることなく書き続け、命を削った感もありますが、47年間の人生は充実したものだったと思います。この随筆集には尾崎翠との交流が書かれていて、それがいいんです。
新宿2丁目にて 平田俊子/Toshiko Hirata
詩人
1955年島根県隠岐島生まれ。1983年第1回現代詩新人賞を「鼻茸について」などの詩編で受賞。受賞作を含む第一詩集『ラッキョウの恩返し』を1984年に出版。『ターミナル』で晩翠賞、『詩七日』で萩原朔太郎賞、小説『二人乗り』で野間文芸新人賞、『戯れ言の自由』で紫式部文学賞を受賞。近著に『低反発枕草子』、『詩、ってなに?』などがある。
取材・構成・文/塚田恭子 撮影/阿部稔哉 撮影協力/カフェ・ラバンデリア