沈没家族で6年間、共に育った2歳年上の戦友
沈没家族には、加納監督のほかにも子供たちがいました。その一人、めぐさんにも会いにいった加納監督。そこでめぐさんは自分たちの関係を、家族でも他人でも友達でもないけど、その中では家族が一番近いと話します。一方、加納監督はめぐさんとの間柄を「戦友」と表現。
「最初は全然言葉が出てこなかったんですよね。でも、絶対ほかの誰とも共有できないことを彼女とは共有していて。友達とも兄弟ともいえないけど、10年20年たっても、そこでのつながりは消えない。それを表現する言葉がないかなと思ったときに、激戦をくぐり抜けた2人、みたいな。沈没が嫌で、そこと戦っているっていうことではなくて、一緒に強烈な経験をして、それを共有できる人っていう意味で戦友っていいました」
めぐさんと話し、加納監督は「2人とも沈没家族をドライにフラットに見ていて。沈没家族で育ったことと、今の自分とを過度に結びつけすぎていない」と感じたそう。それは、「いろんなコミュニティとか側面が絡まりあって人は生きているから」で、「今の自分のすべてを1歳から8歳まで過ごした沈没家族の影響というふうには思っていません」。
沈没ハウスと呼ばれた住居では3組の母子と数人の若者が各部屋に住んで生活を共にし、育児も分担。居住者以外の出入りも多かった。