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パリで「才能あるクリエイター賞」を50歳で受賞。原田江津子さんのクリエーションの魅力

2020.02.19

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道ゆく人も思わずのぞき込んでしまう、どこか不思議な空気が漂う独創的で魅惑的な「TAMBOUR PARIS」の世界観。

モードの世界で駆け巡るように生きた日々


お父さまから大反対されながらも、学業のかたわら銀座のクラブでアルバイトをしながら留学資金を稼ぎ、パリ留学という夢を叶えた原田さん。


留学期間の1年が過ぎようとする頃、パリのトップメゾンの仕事を手がけるフリーランスデザイナーのアシスタントの仕事の話が舞い込みます。

「語学力もまだまだ磨きたいし、条件のいい仕事も見つかったから、もう少しここにいたい」と両親を説得し、パリに残る道を選びます。

その後、トップメゾンのカタログのイラストを描く仕事やパターンを引く仕事、さらにオペラ座近くの免税店でトップメゾンのディスプレイ、コーディネートや販売を経験。

「当時はバブル絶頂期、日本でのインポートブランドブームもあり、その後もプレタポルテやアクセサリーの買い付け、サロン周りのアテンド、コンサルタントなどファッションの仕事はひっきりなしでした」



「無駄は嫌い、新しい機材は買わない」という原田さんは、行き場のなくなった毛糸や年代物の編み機を使って、ほかにはない作品を生み出します。

妊娠を機に“自分のため”のクリエーションに専念


「とにかく仕事が次から次へとやってきた」という1990年代の原田さん。働きづめの生活でしたが、1998年の妊娠を機にすっぱりと仕事をやめてしまいます。

そして子育てに専念。とはいっても、何かを表現したい、しなくてはいられないという気持ちは常に持ち続け、子育てと平行し、モザイク、イラスト、編み物に明け暮れたといいます。

「編み物というのは、編み針と糸さえあれば世界中どこにいてもできますから。“動くアトリエ”みたいなものです。子供たちが幼い時は彼らを連れて毎年3か月は日本に帰国し、日本文化に親しませていました。貧乏だったけれど、子育てと自分の作りたいものだけに没頭できる日々は、本当に満たされていて幸せでした」


チャリティバザーのために誕生した、使われなくなった毛糸を集めて作ったマフラー、レッグウォーマー「PEACE&LOVE」。有名セレクトショップでも取り扱われ、「TAMBOUR PARIS」のシグネチャー的アイテムに。

チャリティのための作品が飛ぶように売れた


原田さんのお母さまは、今から45年前、まだチャリティという意識が日本に根付くずっと前からチャリティバザーを主催し、毎年継続してきました。子育てをしながら、そのバザーに“PEACE& LOVE”をテーマにしたニット作品を製作&出品したところ「パン屋のバゲットのように」飛ぶように売れたのだとか。

「“売る”ことを全く意識していなかったのですが、自分の作ったものが売れたらやっぱり嬉しい。その後、友人の勧めで展示会に出品したところ、フランスや日本の有名セレクトショップや百貨店が買い付けてくれて、自信に繋がっていきました」。

その後、原田さんの作品は人気セレクトショップを中心に広く販売されていきます。



間口はわずか5m程度の小さな店内。商品がぎっしりと並べられた店内は、宝箱をのぞいているようでとても楽しい!

2012年パリ11区にブティックをオープン


今では注目のトレンド発信地として人気が高まるバスティーユ広場の外側にある11区。原田さんが25年前にこのエリアに住居を構えたときは「何もない職人の街」だったのだそう。

「90年代、働きに働いて少しお金がたまったので、アパルトマンを買おうとパリ中の物件を70軒ほど回りました。でも、全然住みたい場所がない。そんなときテレビでこのエリアのピアノの修理工房の映像が流れて、『ここだ!』と思いました」。

その後アトリエとして使われていたすすだらけだったブロンズの工房を購入し、自宅兼アトリエとして改装。「このカルティエ(地区)に“魂を置く”」と決意したのです。

そして2012年には自宅から歩いて2分のこの場所に「TAMBOUR PARIS」をオープン。原田さんのご主人が5か月間かけて基礎からリフォームしたという、原田さんのクリエーションの世界観をぎゅっと詰め込んだブティックです。



超極細の銅のニットをかぎ編み針で編み上げたジュエリーは、華奢で繊細なデザインを好む今どきのパリジェンヌたちにも大人気。

大病が自分自身を見つめ直すきっかけに


ブティックオープンから4年後、前述の見本市「ビジョルカ・パリ」で「才能あるクリエイター賞」を受賞した50歳の頃、原田さんは体の異変に気づきます。

「その1年ほど前から体の不調を感じていたのですが、ついにはこのままだと死んでしまう、と思うところまできました。頭の右半分が動かない感覚で、耳も痛い。そこで病院に行って検査をすると乳がんが見つかりました。

しかも腫瘍はすごく大きくなっていて、この道数十年というがん治療の専門医も『こんなの見たことないからどうしたらいいかわからない!』といって数人の同僚を集め話し合い、実験的治療の被験者となることに! 今まで大変なことはいっぱいあったけれど、こんな経験までするのか、人生もオリジナルなら、病気までオリジナルだわと思いました(笑)」。
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