情熱を突き動かすのは「譲れない」という思い
松岡 情熱、大事です! でも、僕は日本人は情熱を持ちながらも、生かすのが苦手な人が多いように感じているんです。どうしたら、皓太さんのようになれるでしょうか?
井口 答えになるかわかりませんが、僕にとってものを作ることは、子どもの頃から「これだけは譲れない」という、自分の支えにもなっているものなんですね。そういうものが見つかれば、自然に情熱が注げるようになるのではないでしょうか。
松岡 なるほど。実は僕、コロナ禍で当たり前にできていたことができなくなって、いろいろな気づきがあったんですね。同じように多くの人が、自分が本当にしたいこと、皓太さんのいう「譲れないもの」に気づいたと思うんです。そういう人たちは、そこに情熱を注げばいいわけですね。
井口 そうですね。したいことがわかって情熱を注ぐことができれば、毎日が豊かになると思います。
「64年から続くピクトグラムの歴史に自分がつながっている感覚が嬉しくて」── 井口さん
松岡 さて、64年の東京オリンピックで初めてスポーツピクトグラムが誕生し、今度は同じ日本で初めて動き出しました。皓太さん自身はどんなふうに捉えていますか。
井口 作り手としては、ピクトグラムの歴史に自分がつながっている感覚、先人たちが築いてきた大きな流れに加われたという感覚がずっと嬉しくて。IOC(国際オリンピック委員会)の公式SNS で紹介されているのを見たときは、心の底から感動しました。
松岡 皓太さんの動くピクトグラムはオリンピック・パラリンピックの歴史に刻まれ、未来永劫、レガシーとして残ります。そして、この先も受け継がれていきますね。
井口 はい。IOC にとって動くピクトグラムは念願だったと聞いているので、4年後のパリ、8年後のロス、そしてその先もきっと、それぞれの国の人たちが作ってくれると思っています。そうやって、世界中の人たちがバトンをつないでいってくれたら、日本が2020年に始めたこの新しい挑戦も、ずっと受け継がれていくでしょう。パリはやはりパリらしく美しさを強調した動かし方をするのか、ロスはエンターテインメントの国アメリカらしいものを作るのか。想像するだけで楽しくて、今からわくわくします。
松岡 その前にまず、東京2020大会です。僕は皓太さんの作品が世界中の人たちを感動させる日が待ち遠しいです!
井口皓太さんより~
対談を終えて
松岡さんが、「こうたさん」って呼んでくれるたびに、人間としての井口皓太が炙り出されていく感じで、最後はただただ絵を描いたり、工作が好きだった少年に戻っていたように思います。
対談時、パソコンの画面に動くピクトグラムを映して説明する井口さん。すべて一度3Dに起こしてから制作しているため、動きが驚くほどリアルでダイナミック。僕自身が、ものを作り続けることで助けられていること、情熱さえ注げていれば、心が豊かでいられること。
激動の2020年に本対談の機会をいただき、改めてたくさんのことに気づかされ、励みになりました。ありがとうございました。
またどこかで、松岡さんの気持ちが「動く」映像をお届けできたらと思っています。
撮影/猪俣晃一朗 スタイリング/中原正登〈FOURTEEN〉(松岡さん) ヘア&メイク/井草真理子〈APREA〉(松岡さん) 取材・文/清水千佳子 撮影協力/CEKAI
『家庭画報』2021年2月号掲載。
この記事の情報は、掲載号の発売当時のものです。