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江戸時代から京都の街中、鴨川沿いに建つ、古風な建物に気づいていましたか?

2018.11.22

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随筆家 大村しげの記憶を辿って 私だけの京都へ 第25回「賴山陽書斎山紫水明處(らいさんようしょさいさんしすいめいしょ)」

随筆家 大村しげの記憶を辿って かつて、京都の「おばんざい」を全国に広めたお一人、随筆家の大村しげさんをご存じでしょうか。彼女の生誕100年となる今年、書き残された足跡を訪ねて、生粋の京女が認めた京都の名店や名所をご紹介します。毎週金曜更新。記事一覧はこちら>>
頼山陽書斎 山紫水明処

京都を旅するにあたり、京都ならではの場所や味に出会うために、私たちはなにを拠り所とすればよいのでしょうか。京都の情報を多数書き残した、随筆家・大村しげさんの記憶は、まさに京都を深く知るための確かな道しるべ。今回も彼女にまつわる名所を辿ります。

大村しげ大村しげ
1918年、京都の仕出し屋の娘として生まれる。1950年前後から文筆をはじめ、1964年に秋山十三子さん、平山千鶴さんとともに朝日新聞京都版にて京都の家庭料理や歳時記を紹介する連載「おばんざい」を開始。これをきっかけに、おばんざいが知れ渡り、大村しげさんも広く知られるようになる。以来、雑誌や著書で料理、歴史、工芸など、幅広く京都の文化について、独特の京ことばで書き残した。1990年代に車いす生活となったのを機にバリ島へ移住。1999年、バリ島で逝去。 撮影/土村清治



 

今も残る、あの文人ゆかりの建物


京都観光の際、きっと誰もが目にするのが鴨川です。大村しげさんは、著書『静かな京』(講談社)で、数々の思い出を交えつつ鴨川の河原について解説をしています。なかでも興味深いのが丸太町橋周辺の風景を伝える「河原の西べらに、わらぶきの屋根(※)だけが珍にみえるところがある」との記述。

同書が発行されたのは1976年(昭和51)。現地に足を運ぶと、40年以上経った今も鴨川にかかる丸太町橋や遊歩道から、大村しげさんの紹介した建物を見ることができます。この建物の名は賴山陽書斎山紫水明處(らいさんようしょさいさんしすいめいしょ)。江戸時代の歴史家・文人である賴山陽(らい・さんよう)が書斎に使っていた離れ家で、国定史跡に指定されています。※現在の屋根は葛屋葺(くずやぶき)です。

頼山陽書斎 山紫水明処鴨川の河原を歩くと、西岸の垣根の向こうに昔ながらの建物が見えます(写真は対岸からの風景)

賴山陽、最後の住まい「水西荘」


賴山陽は、1780年(安永9)大阪に生まれました。18歳で江戸に遊学。のちに脱藩、禁を破って他藩への遊学を試みるも連れ戻されて幽閉されるなど、波乱の人生を送ります。賴山陽が京都に移り住んだのは1811年(文化8)。5回の転居のあと1822年(文政5)に最後の住まいとなる屋敷、水西荘に落ち着きました。山紫水明處は1828年(文政11)、水西荘の庭に建てられた離れ家。母屋は明治中頃に失われてしまいましたが、その離れであった山紫水明處は現在も保存されています。賴山陽の有名な書物『日本外史』(※)は水西荘で完成されました。※『日本外史』は、源氏、平氏をはじめ、武家13氏の歴史を記したもので、1826年(文政9)に完成。

頼山陽書斎 山紫水明処東三本木通の入り口から路地を進んだところにある扉。その奥に山紫水明處が建っています。
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