今回は、東京2020大会の会場に欠かせないスポーツピクトグラム(絵文字)開発チームの中心人物で、グラフィックデザイナーの廣村正彰さんがゲストです。その制作秘話は、松岡さんが「僕なら胃が痛くなります」という内容ながら、対談は笑いが溢れるものに。最後は新ピクトグラムの制作話で盛り上がりました。
ピクトグラムにちなんで、カメラマンがおふたりにリクエストしたのは、いろいろなスポーツのポーズ。写真はテニスで、廣村さんもノリよく、バックハンドのポーズを取ってくれました。このダブルスは強そう!? 松岡さん・スーツ、シャツ、ベルト/紳士服コナカ第19回
グラフィックデザイナー 廣村 正彰さん
「僕よりも先に兄がピクトグラムのTシャツを買いました」と楽しそうに笑う廣村さん。学生時代は陸上競技の短距離走に打ち込んでいたのだそう。廣村 正彰さん MASAAKI HIROMURA1954年愛知県生まれ。田中一光デザイン室を経て、88年廣村デザイン事務所設立。日本グラフィックデザイナー協会新人賞を皮切りに数々の賞を受賞。多摩美術大学客員教授。グラフィックデザインを中心に、横須賀美術館のサイン計画や東京ステーションギャラリーのロゴデザインなども手がける。『デザインからデザインまで』ほか著書多数。東京2020大会スポーツピクトグラム開発チームの中心メンバー。東京2020のピクトグラム。1964年大会はオリンピック20種類だけでしたが、今回はオリンピック50種類(左)、パラリンピック23種類(右)。原点は1964年大会のピクトグラム
松岡 廣村さんがデザインされた東京2020大会のスポーツピクトグラムを初めて拝見したとき、僕は「動いてる!」と感じたんです。ビーチバレーもトランポリンも、みんな選手が動いてる。なんでそう見えるんだろうと驚きました。
廣村 みなさんが持つ映像の記憶、既視感とピクトグラムを結びつけたいと思って、各競技、何百枚もの写真や映像を見てデザインしたからかなと思います。
松岡 なるほど。選手の声や息遣いまで聞こえてきそうです。
廣村 それは嬉しいですね。東京2020大会は、デザイン界にとっても、ものすごく重要なイベントです。1964年の東京オリンピックは、戦後復興した日本が経済発展していくうえで大きなトリガー(引き金)となりましたが、デザイン界の成功体験でもあったんです。
日本のポスターやエンブレムが社会に認められ、世界に認められて、デザインというものが飛躍するきっかけになりました。デザイン界はみんな、2020年も!と熱くなっています。
松岡 廣村さんは64年の大会を実際にご存じだから、よけいに熱くなるんじゃないですか。
廣村 そうですね。とはいえ、国際的な一大イベントですから、末席でも何かお手伝いできることがあればという感じだったんです。たまたま、ピクトグラムのコンペに声をかけていただき、参加しました。
松岡 コンペで選ばれたあとは、どのように進められたのですか。
廣村 最初の半年ほどはあらゆる方向性を検証しました。国宝の『鳥獣人物戯画』を使ったもの、ひらがなをベースにしたもの、アニメのキャラクターを登場させたものなどです。
松岡 それらのピクトグラムは実際に作ってみられたんですか。
廣村 はい。『鳥獣人物戯画』のウサギが走っているものや、鉄腕アトムがバレーボールをしているものなど、チームで数種類ずつ作りました。
松岡 ぜひ拝見したかったです!最終的に決定した現在のピクトグラムの特徴はなんでしょうか。
廣村 原点である1964年大会のピクトグラムを参考に、アスリートの動きをよりリアルに、アクティブに表現することに努めました。
松岡 だから、動いているように見えるんですね。