2012年10月末の手術後、晃さんが病気の報告を兼ねて親しい人たちに送ったグリーティングカード。心の支えになったという、学生たちからの千羽鶴が表紙のモチーフ。また、晃さんが東大教養学部で「人間行動基礎論」を担当していた際、その講義に感銘を受け、理系から文学部心理学科にいわゆる“文転”をし、卒業後さらに医学を学んだ学生が治療チームの研修医として現れるというドラマを超える奇跡もあった。残された人の負担を減らすためにお葬式も自ら手配した晃さん
手術したものの病気の進行は止められないと知ってから、晃さんのイベントをプランニングする力はさらに加速。
「私に楽しい思いをさせようとしてくれていたのだと思います。彼が専門としていた発達心理学は、子どもの成長だけでなく人の老化も含めた一生を見ていく研究なので、自分のこととはいえ、俯瞰して見つめることができていたのかもしれません」。
2014年3月、北海道・ウトロにて流氷ウォークに参加。ドライスーツを着て流氷の海の中に入りクリオネともご対面。2015年2月に訪れた香川県の直島。絶好の撮影スポットで、草間彌生さんの《南瓜》を手に載せて?記念撮影。できる治療が終わりに近づいてきた2016年10月末、ご夫妻は在宅療養を選択。晃さんは書斎でパソコンに向かい、自分が亡くなった後の段取りをあれこれ進めました。
当時、都さんは国立がん研究センター がんサバイバーシップ支援部長としてフルタイムの激務に追われる日々。
都さんの負担を少しでも減らすべく、葬儀社の担当との打ち合わせや菩提寺のご住職への連絡も晃さん自ら行ったというのですから、その胆力に驚きます。
「ご住職には法要でお会いするたびに『お電話なさってきて、僕のお葬式よろしくお願いします、とおっしゃるのだから本当にびっくりしました』と言われます(笑)」。