〔特集〕心安らかに、精一杯生きるために知りたい 死んだらどうなる? 誰にとっても限りある命。人は死んだらどうなるのか? 古今東西、永遠のテーマをノンフィクション作家・工藤美代子さんが聞き手となり、日本心霊科学協会理事の小児科医・鶴田光敏さんに率直に尋ねる対談は必読。また、研究や体験を通じて死後の世界観を確立されている方々にもお話を聞き、多面的に掘り下げました。死後の世界に思いを馳せることで、“よりよい死を迎えるために、よりよく生きる”一助になりますように──。
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さまざまな体験や研究を経て、辿り着いた境地
日本の著名人、知識人が思う死後の世界
「死後の世界」を信じ、思い描くことから導き出される現世でのよりよい生き方とは? 医師、物理学者、シスター ── 各専門家ならではの視点で死生観を伺いました。
ふるさとへの旅立ちを祝い、道中の無事を祈る
帯津良一さん(医師)
内モンゴルの大自然の中で、死後の世界に思いを馳せて微笑む帯津さん(2010年)。写真/八田政玄
西洋医学の限界を感じ、中国医学を取り入れた「中西医結合」を旗印に開業。その後間もなく、1980年代半ばにホリスティック医学(心と体と命を含めたその人全体をみる医学)と出会いました。がん専門医として歩んできた六十数年の変遷の中で、最初は眼中になかった「死」が視野に入り、徐々に存在感を増し、今や私にとって死を見据えない医療は考えられません。
私が理想とするホリスティック医学は、未だ科学が解明しておらず西洋医学が手を出すことのできない「命」に焦点を当てる医学です。医師と患者さんはがんという共通の敵に立ち向かう同志となり、体を治し心を癒やすだけの医療では不十分。患者さんにいかに寄り添えるかが重要になってきます。
この世での修業を終えて“ふるさと”のあの世へ帰る
死を終わりではなく命のプロセスと捉え、その先まで見据えなければ寄り添うことはできない。しかし、そもそも死後の世界はあるのだろうか ── 。
こう考えたとき、たくさんの患者さんの顔が思い浮かびました。息を引き取って数分から数十分経つと、何ともいえずいい顔になるのです。一人の例外もありません。これは現世での務めを終えてふるさとに帰る安堵の表情に違いない。ふるさとはどこだ? 死後の世界だ! こうして私は「死後の世界はある」と確信したのです。
命の“ふるさと”はこの遥か彼方に? 内モンゴルの大草原の夕日。写真/八田政玄
ふるさとを離れ遠路はるばる地球に辿り着いたとき、私たちはエネルギーを使い果たしています。この世は帰路のエネルギーを蓄えるための修業の場。桃源郷などではありません。一人一人が現世でやるべきは、日々、養生を心がけ、困難を乗り越え、かなしみに耐え、ときめきながら命のエネルギーを最大限に高めていくことです。
修業を終え、ふるさとに帰るのは実に喜ばしいことではないですか! 2009年、急逝した家内を偲ぶ会を私は「旅立ちを祝い、道中の無事を祈る会」と名づけました。
そのときまで日々、養生。そして勢いよく飛び込むのだ
養生法は人それぞれでよいのです。私の場合は一生懸命働き、晩酌にときめき、太極拳を楽しみ、毎朝「延命十句観音経」を唱えることでしょうか。これを長年続け米寿を迎えた今、生(せい)が味わい深く充実してきたと同時に、あの世により親しみを感じるようになりました。死が嫌ではないのです。
死後の世界で、私は粒子になり波動になり、時空を超えて自由自在にどこへでも赴き、懐かしい人たちと酒を酌み交わし談笑する ── 。楽しみで仕方がないのですが、こっちの世界もまだまだ魅力的。その日まで養生に励み、そのときが来たら喜びをもって「よし、行くぞ!」と一気に飛び込む。あの世にいる先輩たちを「今の物音は何だ?……帯津じゃないか!」と驚かせようと目論んでいるのです(笑)。
帯津良一(おびつ りょういち)1936年生まれ。帯津三敬病院名誉院長、帯津三敬塾クリニック主宰。東京大学医学部卒業。同附属病院第三外科、都立駒込病院外科医長を経て1982年故郷の埼玉県川越市に開業。患者に寄り添い、理想とするホリスティック医学の実践を目指す。
(次回へ続く。
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