リシャール・コラスの京都暮らし 日本の美しさ再発見(1) 50年近くに及ぶビジネスマン生活に一旦幕を引き新たな人生のステージに進む前に、リシャール・コラスさんにはどうしても叶えたい計画がありました。それが京都に暮らすこと。幾度となく訪れながらいつも滞在は短く、深く知ることのできなかった京都という街の雰囲気を存分に味わってみたい。かくして3か月の京都暮らしが実現しました。
リシャール・コラス
1953年フランス生まれ。75年に来日。オーディオメーカー勤務、ジバンシイ日本法人立ち上げを経て、85年シャネル入社。日本におけるシャネルの成長を牽引し2023年退職。作家として執筆活動にも精力的に取り組んでおり、06年には自伝的小説『遙かなる航跡』を上梓。
世界を飛び回ってきたコラスさんの3か月の京都住まい
「特にこの2年間はスイスと日本を毎月往復して、さらに世界各地を飛び回る……クレイジーなリズムで生活していました。だから一度止まりたかった。私は動いていないとダメな性質(たち)なので、友達には『3週間くらいで我慢できなくなるんじゃない?』とからかわれましたが。3か月でリズムを変えることが、自分へのチャレンジでもありました」
コラスさんの一日は坐禅から始まります。縁あって出入りを許された大徳寺真珠庵の縁側で坐禅を組むことが、京都暮らしの欠かせない日課となりました。
真珠庵を訪れ、南に面した縁側で坐禅を組むのが日課。「こちらはどの庭も、それぞれどの角度から見ても美しい」。改めて発見する日本の美しさを心に留める日々。
「風がすーっと吹くと、体が喜ぶ。雨上がりに水滴に光が当たってそれこそ真珠のような輝きを放つと、あまりにきれいで思わず写真を撮りたくなる。日常でこんなふうに自然を楽しむ時間を持つことなど、以前は考えたこともなかったのです」
朝、坐禅で心を整えたら、執筆にひとしきり没頭し、午後は明るい時間から銭湯へ。同じような毎日の繰り返しが「ものすごくシンプルだけれど、とても気に入っています」と、満足げな表情を浮かべます。
「この前、東京に用事があって出かけたら、街の喧騒やスピードにとてもついていけず『私は何十年間もここで生活していたのか!』と驚きました。京都での日々のリズムに心も体もすっかりなじんでしまったのでしょう。そういう意味で、私の目的は完璧に達成されたといえるでしょうね」
一休宗純禅師を開祖として創建された大徳寺の塔頭真珠庵。一休禅師直筆の書が添えられた達磨像に見守られ、第27世住職を務める山田宗正さんと対話するひととき。
「真珠庵で学んだのは、庭の掃除も坐禅だということ」──リシャール・コラスさん
「体を動かす“動の坐禅”のほうが 入っていきやすいんです」──山田宗正住職
京都に暮らして自然を楽しむ時間を味わう
リシャール・コラスさん(以下、コラス) 真珠庵とのご縁をいただいたおかげで、こうして伺っては坐禅をしたり、庭の掃除をお手伝いしたりする毎日です。掃除もまた坐禅ですね。頭がからっぽになります。
山田宗正住職(以下、山田) 座るのは静の坐禅。掃除などは「作務」といいますが、動の坐禅。実際に体を動かしているほうが入っていきやすいということはありますね。わずかの期間でそこまでおっしゃるとは、たいしたものです。剃髪もされましたし、すっかりなじんでおられますね。
コラス 私は、もともと癇癪持ちで落ち着きがない人間なんです。それが京都で暮らして、こちらで静かに過ごすことで、物の見方が変わったというか、少し性格が穏やかになったのではないかと自分では思います。中身が変わったのだから、外見も変えようじゃないか。そう思い立って、門前にある昔ながらの床屋さんで剃ってもらいました。
山田 鈴木大拙みたいです。
コラス おもしろい話があってね。この前、フランス人の友人を大徳寺の別の塔頭に案内したのですが、私の分の料金を取らないと言う。理由を尋ねると「あなた、お坊さんでしょう」と。ちょっとうれしかった(笑)。
山田 コラスさんのようにビジネスの世界で戦っていらっしゃった方からすれば、私ども禅寺の暮らしはずいぶん気楽そうに思われるんじゃないですか。
頭髪を剃り作務衣を着たコラスさんは、雲水のような佇まい。ビジネスマンの顔はどこへ。
コラス 確かに私が長くいた業界はキラキラで、対照的にこちらの暮らしはものすごくシンプルです。でも、そのシンプルさがいい。都会暮らしでは味わえない、自然に親しむ楽しみがあります。光の色や木々の表情が毎日変わるなんて、前は気づきもしなかった。そうしたささやかな発見や気づきが、執筆にもいい影響を与えているように思います。
坐禅をすることで物の見方が変わり、穏やかになりました──リシャール・コラスさん
茶道宗和流の祖である金森宗和好みと伝わる茶室「庭玉軒(ていぎょくけん)」。二畳台目下座床の茶席。
一休さんの気に触発されて執筆に励む日々
山田 やはり一休さんの気ですかね。一休さんには、画家の曽我蛇足や侘茶の祖である村田珠光など日本の芸術のパイオニアが多く師事されました。
観阿弥・世阿弥のお墓もありますし、一休さん自身も「一節切(ひとよぎり)」という今でいう尺八の名手です。
中国から渡ってきた厳しい禅を、トッププロのためではなく、茶道や能楽、あるいは俳諧などさまざまなジャンルを手がかりにして、広く一般の人々に感じてもらおうと努めた。
だから旅立たれて100年、200年経ってもとんち話がどんどんつくられて親しまれたんでしょうね。そうした一休さんの気がここには充満しているので、来られた方もいろいろ触発されるのではないでしょうか。そういう意味で、小説を書かれるコラスさんにとってもよかったですね。
コラス ご住職は13歳でこちらに入られて56年でしょう。幅広い趣味をお持ちだし、私には一休さんに重なって見えます。
山田 私たち、趣味も合いますね。
コラス そうですね。ご住職は音楽にとても詳しくていらっしゃる。それもジャンルを問わず。我々同世代だから、子どもの頃から同じ音楽を聴いていたわけです。それにオーディオの機械にも詳しいでしょう。私もすごく興味があるので、話は尽きません。
コラスさんには、禅をヨーロッパに広めていただきたい ──山田宗正住職
書院「通僊院(つうせんいん)」から庭を望む。桃山期の化粧殿(けわいどの)を移築したもので女性らしい雰囲気が漂う。
坐禅をより深く理解することで訪れた心の変化
山田 それにしてもコラスさん、坐禅がよく続いていらっしゃいますね。
コラス これまで坐禅の経験がなかったわけではないのですが、今回、こちらで座らせていただいて坐禅がより深くわかるようになった気がします。
山田 坐禅は呼吸。息が上がっていたり肩で息をしたりというのは、呼吸が浅く、速くなっているということ。それは心の状態も指しているのです。ゆっくり深い呼吸をするには胸が開いていないといけないので、まず姿勢をよくします。そうすることで、体も活性化して気持ちも前向きになる。基本的にはどこでもできますし、ご自宅で5分でも10分でも座っていただけるといいかと思います。
コラス 先日、3日ぶりに坐禅を組んだら、途中でつい眠ってしまって。ダメですね。
細長い地割に15個の石を配した通称「七五三の庭」。侘茶の祖・村田珠光の作庭と伝わる。
山田 いやいや、眠いときは寝るのがいい。道場で修行されているわけではないんですから。私は、コラスさんのように好きで座っていらっしゃる方の言葉を借りて、少しでも広く皆さんに坐禅への興味を持っていただけたらいいと思います。寺って、どうも敷居が高いと思われてしまいますから。ヨガは気軽にやるけれど、坐禅はちょっと、というような思い込みがあるようで残念です。
コラス ご住職はヨーロッパにも坐禅の指導で出かけていらっしゃいますね。
山田 そうですね。せっかくのご縁ですから、コラスさんにもぜひ、スイスやフランスで禅を広めていただきたい。鈴木大拙はアメリカで頑張られたけれど、コラスさんはひとつヨーロッパで。
コラス 何か考えましょうか。
曽我蛇足、長谷川等伯の方丈障壁画を修復するにあたり新調された方丈襖絵。第一線で活躍する漫画家やアートディレクター、アニメーション映画監督など現代のクリエーター6名が創作を担った。
大徳寺 真珠庵
京都市北区紫野大徳寺町52
TEL:075(492)4991
拝観時間:9時30分~16時
※事前に電話で「拝観希望」と予約を入れ、詳細を確認。
大徳寺真珠庵 特別公開会期:2024年9月20日(金)~12月8日(日)
10月21日(月)は休み
〈column〉
文士・コラスさんの今月の逸品
執筆にはPCやタブレットを使うコラスさんですが、構想を書き留めるメモやサインなどには万年筆を愛用。長年使い続けているイタリア製(手前)やアメリカの友人が手作りしてくれたもの(奥)など、コレクションは数知れず。柔らかなタッチが好み。「小説を書くことは料理と同じ。いろいろな食材=アイディアをどうおいしくまとめるかが鍵です。京都に暮らし始めて、かねてからの構想がどんどん“おいしく”まとまってくるのを感じています」。