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藤原から派生した「二階堂」氏。その由来はある立派なお寺にありました

2025.03.28

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墨アート製作/越智まみ

名字365 姓氏研究家の森岡 浩さんが日本人の名字を毎日紹介します。あなたの意外なルーツが分かるかも?知れば知るほど面白い、名字の世界をお届けします。連載一覧はこちら>>

二階堂(にかいどう)

「二階堂」という名字は珍しそうに見えて、意外と各地にあります。しかし「二階堂」とはいったい何なのでしょうか。

実は、各地にある「二階堂」のルーツはある場所にあります。

二階堂氏は藤原氏の一族で、かつては「工藤」を名乗っていました。


平安時代末期の工藤行政は朝廷の下級官僚でしたが、熱田大宮司家の出である母が源頼朝の母方の大叔母にあたることから、鎌倉に下向して頼朝に仕えました。そして、鎌倉幕府の創設とともに政所寄人(よりうど)となったのです。

頼朝の没後は13人の合議制にも加わって幕府草創期に実務官僚として支え、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」にも登場していました。

この一族が「二階堂」を名字とした時期ははっきりしないのですが、その由来となったものはわかっています。

それは、源頼朝が建久3年(1192)に鎌倉に建立した永福寺(ようふくじ)です。永福寺の仏堂には立派な裳階(もこし)があって外観が二階建てに見えることから、通称「二階堂」と呼ばれていました。

行政はこの寺の近くに邸宅を構えたことから「二階堂」を名字としたのです。のちに、この付近の地名も二階堂となっています。なお、この二階堂は高さもかなり高く、本当に二階建てだった可能性もあるそうです。

さて、鎌倉幕府の有力一族となった二階堂氏は、全国各地に所領をもらい、分家が各地に広がっていきました。

なかでも、福島県須賀川に移り住んだ一族は後に戦国大名に発展し、伊達政宗に敗れるまで須賀川二階堂氏として活躍しました。

現在は福島県と宮城県に集中しており、明治維新後にそこから移住した北海道にも多くなっています。
森岡浩/Hiroshi Morioka
姓氏研究家。1961年高知県生まれ。早稲田大学政経学部在学中から独学で名字の研究をはじめる。長い歴史をもち、不明なことも多い名字の世界を、歴史学や地名学、民俗学などさまざまな分野からの多角的なアプローチで追求し、文献だけにとらわれない研究を続けている。著書は「全国名字大辞典」など多数。

墨アート製作 書家・越智まみ(https://esprit-de-mami.com/

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