平成30年秋の叙勲で旭日小綬章を受章 厚子・東光・フィッシュさんに特別取材「リタイア後の人生は人のために」
穏やかでいて芯の強さも感じられる笑顔の主は、厚子・東光・フィッシュさん。生まれ故郷である日本と38年以上暮らすアメリカの2か国で、名誉ある章(賞)に輝いた女性です。
1つ目は、2013年にオバマ大統領(当時)の発案で生まれた“チャンピオン・オブ・チェンジ賞”で、社会貢献活動に尽力している人に贈られる賞。フィッシュさんは、日本人女性をアメリカに招いてリーダーシップを育成する活動や、東日本大震災の被災地に仮設住宅を建てるといった支援活動が評価され、栄えある第1号受賞者となりました。
2つ目は、この11月に日本政府から授与されたばかりの「旭日小綬章」で、日本人女性の社会進出に大きく寄与した功績を称えられてのことでした。
アメリカへ渡って初めて知った“フィランソロピー”
そんなフィッシュさんですが、若い頃は社会貢献とは無縁の生活をおくっていたといいます。「私が育ったのは戦後の高度経済成長期。アメリカに追いつき追い越せ、経済第一、お金第一という時代で、私もスポーツビジネスなどの仕事に邁進していました。フィランソロピー(社会貢献)という考えを知ったのは、アメリカ人の夫とともにボストンに移り住んでからです。
MSH(Management Sciences for Health)という、公衆衛生を教育・普及するNGOで働き始めたのがきっかけでした。MSHの使命は世界の貧困地域の公衆衛生を改善し、人々の命を守ることです。
アフリカでは子どもの死亡率の50%以上が下痢なのですが、下痢を防ぐには、手を洗う、きれいな水を飲む、トイレの設備を整えること。MSHのスタッフはその3点の重要性を現地の人たちに教え、彼ら自身が自立して子どもたちの命を守り、平和に暮らしていけるように導いています」
多くのことを学んだというMSHの仕事のなかで、フィッシュさんの心にひときわ大きく響いたのが、ある小児外科医の言葉でした。
「その先生は病院を経営する裕福な家のお坊ちゃんでしたので、なぜこのような活動に従事されているのだろうと思い、あるとき尋ねたのです。そうしたら、『僕が病院で手術をして助けられる子どもの数は限られているけれど、MSHの活動では1日に何百人もの子どもを助けられます。僕は小児外科医として、できるだけ多くの子どもたちを助けたいのです』とおっしゃいました。私にはそんな発想はありませんでしたから、強い衝撃を受けるとともに深い感銘を覚えました」