清らかな水で、知らず知らず身につけてしまったものを洗い流された
素晴らしさを、「例えば、感情表現が器用にできないっていうこと」から感じたという井浦さん。そして、感動も。
「芝居というのは嘘を本当にしていく作業だとしても、スタートはやっぱり嘘の部分で。そこに戸惑いを感じたりしている姿を見ると、全部自分に返ってきます。素直な心と体で、気持ちがついていかないとか、体で表せないとかっていうところで、生っぽいというか……。それが本当なんだろうなと思って。嘘を本当にしなければいけないという思いから、知らず知らずできるようになってしまったり、身につけてしまったものを、『嵐電』の現場は1回洗い流してくれたというのが大きな感動でした」
そんな感情は、学生たちの中に飛び込んで、上も下もなく横一列でやれたからこそではないかと井浦さんはいいます。
「自分が変に芝居しすぎてもおかしい。不器用な人間であれば不器用な言動が表れるはずだし、そういうところは学生たちの姿を見ながら調整させてもらったりして。自分自身の芝居も心も、リセットっていうんじゃなくて、清らかな水で洗われたような……。そういう気持ちになれた、学生たちとの仕事であったと思います」
「インディペンデントも大手も学生たちも、映画作りとしてはなんら変わりないと思っていて。どう自分がそこに立つかだと思います」