断崖図金剛峯寺の「茶の間」に描かれた『断崖図』。空海の修行の厳しさを表現した崖が襖18面にわたって続く。L字形の角は崖が切れ、希望の光を垣間見る。千住 博 空海との対話
ほとんど光の入らないその部屋に近づくと、目の前に広がる黒の濃淡が崖であることに気づきます。L字形に配置された襖18面に及ぶ『断崖図』は、その全貌を一目では捉えることができないまま、険しい岩肌が重圧感をもって迫ってきます。よく見ると崖の上には樹木が霧に霞んで佇み、L字の角にあたる部分は断崖の切れ目となり、光が差し込むように白く抜けています。
崖と樹木は現実にあるものなのに、この空間に広がるのは見知らぬ、それも不安をかきたてるような異世界。日本画家・千住 博さんが、揉んだ和紙に岩絵具をのせるという手法で描いた「平面の彫刻」と評される風景です。
約1200年前に空海が開創した金剛峯寺。その「茶の間」と「囲炉裏の間」に2020年10月16日、千住さんの『断崖図』と『瀧図』が奉納されました。制作に約2年半、全国7か所を巡回してのようやくの設置。まさにここに納めるために描かれた絵であることを証明するかのように、絵は空間の一部と化し、まるで1200年前からそこにあったかのような存在感を漂わせています。
金剛峯寺が擁する日本最大級の石庭・蟠龍庭(ばんりゅうてい)を望む千住 博さん。「ここで自分の絵を見て、もうこれ以上の絵は描けないと思いました。これ以上の瀧もこれ以上の崖も描けない。ここで自分は完全にリセットで、きょうこの日よりゼロからのスタートだと。もちろん絵描きだから絵は描き続けます。振り出しに戻ったんです」と千住さんは語ります。