菊地氏の言葉に、私はちょっと意表を突かれた。船旅はなんとなくロマンチックな感じがする。恋愛中の二人が別々の部屋にステイするのは味気ないのではないか。それに費用だって2倍かかる。
「そうねえ費用はね、淑子さんは自分の分は自分で払うって言っているんですよ。僕は彼女の分も払うつもりだったんだけど、断られました。この前、資料を取り寄せたら、バルコニーの付いた部屋で、一人約2000万円といったところかな。一番高い部屋から2、3番目くらいのクラスです。まあ、その点はかまわないんだけど、僕にとっては船旅の期間が長いのが実は心配なんですよ。だって病気になることも考えられるし、不安でしょ。それで僕が今迷っているわけ。淑子さんはすごく強気で、4か月海上で過ごしてもいいし、途中で何かあって、重病になってもかまわないから行きたいって言っているんですけどね」
静かに微笑む菊地氏の前で、私は「はぁー」と言葉にならないため息を吐いた。
私も昔から、いつか船旅をしたいと夢見てはいたけど、実際には2000万円なんて、とんでもない値段だ。200万円であっても私には無理だろう。そこに驚きはしたけれど、それ以上に感銘を受けたのは、自分の旅費は自分で用意するから、それぞれ別の部屋を予約しましょうと言う淑子さんの格好良さだった。こういう女性が私は好きだし尊敬する。
「つまり彼女は自立した女性なんですね」
私が確認すると菊地氏が嬉しそうにうなずいた。精神的にも経済的にも自立していなかったら、彼女のような発想は生まれない。これはダブルの部屋に割り勘で泊まるのとは違う。お互いに干渉されない時間を確保しながら、優雅な長旅を楽しみましょうねということである。
今の私は彼女の気持ちが少し理解できる。淑子さんほどの経済力はもちろんない。しかし、5年ほど前にマンションに引っ越した時に、夫婦の寝室を別々にすることに決めた。特に夫婦仲が軋んでいたわけではない。たまに小競り合いがある程度なのだが、同じ時間に寝て同じ時間に起きるのが面倒くさくなったのだ。私は年々動作がのろくなり、食事の支度から原稿書きまで、すべてに時間が掛かる。夜中に起きてパソコンを叩いていると、夫は気にする。さっさと昼間の間に仕事なんて終わらせろというわけだ。
それならいっそ部屋を別々にしましょうと私が言い出した。それを別寝(べっしん)と呼ぶのだと教えてくれたのは熟年の女性編集者さんだった。呼び名がちゃんとあるくらいだから、別寝はしっかり言葉としても習慣としても定着しているのだろう。ついでに私は自分の仕事場と寝室を一緒にしてみた。これがなんとも気楽な空間で、衣類や資料が散らかり放題でも、夫の目を気にしないですむ。夫婦喧嘩の回数は激減した。
菊地氏と淑子さんは同じホームで別々の部屋に住んでいる。しかし、毎日必ず一緒に食事をしているわけでもない。お互いに都合の良い時間に外食をしたり、ホームのレストランで食べたりする。タイミングが合わなければ、一人で食事をすることもある。それを淑子さんは特に寂しいと感じている様子はない。
二人の習い事なども同じ教室に通っているが、必ずしも同じ時間に行くことには拘らない。といって、時間が合えばもちろん一緒に行く。
ある時、淑子さんからの電話が3日ほど途切れたことがあった。淑子さんが連絡をくれなかったのである。気になって菊地氏が理由を尋ねると、「私ちょっと沈んでいたのよ」との答えだった。それ以上、彼女は理由を言わない。菊地氏もしつこくさらに問い詰めなかった。
二人は、世に言う恋人同士である。だからといって、相手の行動のすべてを把握していなければ気がすまないというわけではないようだ。
菊地氏は、私には何も言わなかったが、やはり淑子さんが沈んでいたのは気になったようだ。「たまには喧嘩もするけど、僕たちはトゲトゲしい喧嘩にはならないんです」とぽつりと付け加えた。
あまり密にお互いの予定を尋ねたりしないための、行き違いもあった。菊地氏が前から見たいと思っていたミュージカルを、淑子さんは彼に声も掛けないで、さっさと一人で劇場に行ってしまった。その逆に、古い邦画をまとめて上映する映画館があって、菊地氏は毎週通っていたのだが、あれなら私も見たかったのにと後から知って淑子さんは残念がった。
「彼女は自分の意見をはっきり言う人なんです。だから控え目な女性というのとは違う。そこが面白いんです」
セックスに関しても、付き合い始めてそろそろ2年である。最近は二人共疲れを感じるようになった。以前ほど頻繁にセックスをしなくなった。
「どうだろう、20日間に1回くらいでいいんじゃないかな」と菊地氏が言ったら、彼女もこの頃のペースはちょっときつく感じていたと答える。
だからといって、淑子さんがセックスに消極的になっているわけではない。じゅうぶんに楽しんでいる。そろそろ20日くらいたつなと思ったら、菊地氏から誘う。いや、時には彼女から声を掛けて来ることもある。
「夜そちらに行っていいですか?」と尋ねるのだ。
そして、二人はセックスに大きな喜びを見出している。いい関係が続く秘訣の一つは、お互いにコミュニケーション能力が高い点が挙げられる。
これは私の勝手な思い込みかもしれないが、欧米の文化に比べると日本では常に相手の腹のうちを探る技術を要求されるようなところがある。特にセックスとなると、言葉で相手に何かを求めるのは失礼ではないかと気を使う。いや、もしかしたら、今どきの若い人たちは違うかもしれない。少なくとも私の時代くらいまでは、セックスに関して女性が口にするのはタブーだった。
その点も淑子さんは92歳とは考えられないほどはっきりと自己主張をする。
「その角度だとちょっときつくて痛いから、枕を置いてくださる」とか、「そうね、この方が痛くないし、感じやすいわ」と知らせてくれる。「そういう彼女の喋り方とかは若い人にはわからないだろうなと僕は思うんですよ」
菊地氏の説明に私は納得する。
高齢者になれば、性行為にはさまざまな努力が必要になる。その底辺にあるのは相手に対する思い遣りだろう。残された時間が限られているからこそ、お互いに相手の気持ちに思いを寄せるのは素敵だ。
「例えばね、淑子さんは『今日はこの前の時みたいに燃えてないから、あなた中心でやってくださる』とか言うんですよ。とてもはっきりしている。そういうところが好きです」
本当に恋愛をここまで客観的に見て、自分の言葉で語る女性は珍しいだろう。
「この前、彼女と二人で芝居を見に行った時の写真ですよ」と菊地氏が二人のツーショットを見せてくれた。1枚は全身でもう1枚は顔のアップだ。淑子さんは黒のレザー調の布地のパンツルックだが、足が長くてスタイル抜群である。さらにアップの写真を見て驚嘆した。メイクが素人のものとは思えない。眉の書き方からアイシャドーの入れ方まで、実に上手いのだ。といって、人目を惹くような派手なメイクではない。髪型もショートで明るめの茶色に染めている。つまり、どこにもお婆さん臭さがないどころか、凜とした気力に満ちている。
写真でもすぐそれくらいわかるのだから、実物の彼女はさぞや美しい女性だろう。現役感が満載である。
よく考えてみれば、私は淑子さんがどんな人生を送って来たかは断片的にしか知らない。東京の山の手で育ち、普通に結婚したが、子供はいない。旦那さんも亡くなっている。それ以上の知識はないが、こんな女性がこの世に実在するのは嬉しいことだと思った。年を取ったら、丸くなる必要なんてないだろう。きっぱりと自己主張出来る女性ほど幸運のすぐ近くにいるに違いない。淑子さんは自分の魂に誠実である。だから、きちんと要求を言葉に出来る。その結果、彼女の魂も肉体も、さらに生命感を増してゆく。私は、92歳の輝きの真実に触れたような気がしたのだった。
工藤美代子(くどう・みよこ)ノンフィクション作家。チェコのカレル大学を経てカナダのコロンビア・カレッジを卒業。1991年『工藤写真館の昭和』で講談社ノンフィクション賞を受賞。著書に『快楽』『われ巣鴨に出頭せず――近衛文麿と天皇』『女性皇族の結婚とは何か』など多数。