対談を終えて――山田宗樹先生
山田 宗樹先生(やまだ・むねき)
作家。 筑波大学大学院農学研究科修士課程修了。製薬会社で農薬の開発に従事した後、1998年に『直線の死角』で第18回横溝正史ミステリ大賞を受賞。2003年に発表した『嫌われ松子の一生』は映画、ドラマ化され大ヒット。13年に『百年法』で第66回日本推理作家協会賞を受賞。どんな人生にも喜びは見つけられる
このたび伊藤 裕先生と対談させていただき、幸福についてあらためて 考える機会を得られたことは、私にとってきわめて有益でした。
先生は御著書『幸福寿命』の中で「私たちは、もともと幸せになるものなのです」とされ、幸せを感じるメカニズムの鍵としてホルモンを挙げておられます。
そのようなホルモンの分泌を促す代表的なものが、子孫を残すためのさまざまな行為であるという事実からは、自然の巧みさを感じずにはいられません。
しかし、言うまでもないことですが、子孫を残すことだけが幸福に繫がるわけではありません。
拙著『人類滅亡小説』には、世界の終わりがじわじわと近づく中、妊娠した女性が不安を漏らす場面があります。
「この子が命を全うするまで、世界は保たないかもしれない。絶望して泣きながら死ぬような人生なら、最初から生まれてこなければよかったと思うかもしれない。わたしたち、恨まれるかもね」
それに対して、彼女の夫である年下の男性はこう返します。
「たとえこの子が生きているうちに人類が滅亡することになっても、この子の人生に意味がないと決めつけていいわけじゃない。そんな権利はだれにもない。僕らにも」
「どんな人生にも喜びは見つけられるはずだよ。その瞬間のためだけでも生まれてくる価値はあったと思えるような、そんな喜びが必ずある」
後に、彼女から生まれた息子が大人になり、父親となった男性はその息子にこのエピソードを話して聞かせるのですが、そのとき息子からこんな言葉をもらうのです。
「父さんは正しかった。(そういう瞬間は)数え切れないくらい、あったよ。感謝してる」
子孫を残すことは生物にとって最優先事項であり、そこに幸福を感じるシステムは、目的達成の仕組みとしては、たしかによくできていると思います。
現代社会においてもなお、子を産み育むことが幸福感の強力な源の一つになっていることも、間違いありません。多くの動物でも、同様の仕組みが働き、幸福感に似た感情が脳で生まれているのでしょう。
しかし人間は、おそらく言語を獲得したことによってだと思いますが、ほかの動物とは比べようのないくらい、幸福のバリエーションを広げてきました。幸福はもはや一様ではなく、人の数だけ種類があると考えるべきです。
自分が何に幸福を感じるのかは、誰にも強制されることなく、理不尽に妨害されることもなく、1人1人が自由に決めていい。
そんな幸福を感じられる瞬間が一度でもあるのなら、たとえ子孫を残せなくとも、寿命を全うできなくとも、生まれてきた価値はある。人生には生きる意味がある。私はそう考えたい。
ただ、もしかしたら幸福には、そもそも理由など必要ないのかもしれない、とも思います。人は、幸福を感じると、自分好みの理由をどこかに見出したくなる。財産、地位、学歴、健康、若さや美しさ、そして人間関係に。
しかし、いったんその理由に執着しはじめると、幸福が手の中からするりと逃げてしまう。幸福を感じる理由だったはずのものが、気が付いたときには、苦しみを感じる元になっている。幸福の理由をどこかに求めた瞬間から、それは幸福とは異なるものへと変わってしまうのです。
理由を要求するような幸福は、幸福の名に値しない。理由があるから幸福になるのではなく、幸福だから幸福なのだ。伊藤先生が御著書でも言及されていた「幸福のトップダウン方式」とは、そういうことではないかと理解しています。