「米寿なんぞ迎えたら、ますます自由人。
どんどん危険なこともすればいいと思う」(曽野)
曽野 私は常々、人間の生涯というものは、ひとりひとりに贈られた特別なものであると思っているんです。それはめいめいに与えられた義務でもあって、コロナ禍にあろうと、そこで、変わる事はないです。人生がつまらないとか、ひとりが寂しいとか言っているのは目的がないから。不平を言っているなら、どんなに小さなことでも、今日はこれをしようと目的を持って行動することだと思います。五木さんは、今、どのようにして過ごしていらっしゃるの?
五木 先ほど少し触れましたが、ソーシャル・ディスタンスは大事だけど、僕はできるだけ生身の人と近しく会いたいな。今日もこうして直にお話できて、うれしい。いくつになっても、出会いというものは、生きる力になりますから。
曽野 ええ。違う分野、職業の人たちとの出会いも面白いですね。私は一時期、土木の勉強をしていたことがあって、隧道(トンネル)の作り方や橋の架け方とかを教わって、これはもう、ものすごく刺激があって面白かったですね。
五木 それはまた、曽野さんらしいというか、お転婆な側面ですね(笑)。
曽野 私は年をとったら、なおさらどんどん危険なこともすればいいと思っています。それこそ米寿なんぞ迎えたら、ますます自由人になっていいはずなのに、皆、御身大切にばかりなるから、退屈になるんですよ。
五木 いずれにせよ、人生に好奇心は大事です。生きる力の根元ですから。僕らの年代にとって一番の関心事になる健康というものも、僕は“養生”という言い方をしている。趣味、道楽としてやる、という考え方ですね。健康法というと真面目になってしまってやりませんけど、道楽というと、途端に楽しくなるじゃないですか。
曽野 道楽って、いい言葉ですね。道を楽しむか楽にするか。
五木 明日、死ぬとわかっていてもやるのが養生。僕は毎年の初めに、今年はこれをテーマに養生しようと決めて勉強してきました。たとえば転倒、咀嚼、嚥下、呼吸……とか。自分の体を使って実験しているのですが、これが面白くてたまらないんです。
曽野 実験ですか。
五木 道楽(笑)。たとえば誤嚥というのは、飲み込む力が弱っているのに、いきなり飲もうとするからいけないわけでね。それで僕は犬を観察した。犬というのは、肉にしてもあまり噛まずに飲み込む。その時に首を少し後ろにカクッとやるんです。これだなと(笑)。
曽野 日本人は、学問は好きだけれど、学習が好きではないでしょう。それは楽しい学習ですね。
五木 小さな生活の、小さなことを大事にするということはとても重要だと思う。水ひとつ飲むにしても、実は簡単なことではないんだなとわかってきます。好奇心ということでいえば、僕はオリンピックがどうなるのかも、興味津々です。こういう状況下で、他国もからむことを無理して行ったとして、どういう結果になるだろうかと。競技場に客を入れずにやる大会はどうなんだろうかといった疑問を含めてね。
曽野 私はオリンピックに関しては、あまり関心がないんですよ。でも前例のない世界状況の中で実験のようなことをするわけで、それについては、どうなるのか興味がありますね。同調意識の強い国ですから、もしかすると一気に盛り上がるかもしれませんけど。
五木 同調するなら、どう同調するのかも興味がありますね。
曽野 ただアフリカやら、インドやら……ますます経済的に困窮している国々が来られなくても開催するのでしょうか。社会的に弱者を振り落としていこうとする動きが、何年かに一度起こりますが、弱小化していく国家、民族が、畑仕事でいう間引きされていくような状況を見ると、その政策でよいのかと疑問が生まれます。やるのなら貧しい国々から、少数でも選手や観客を呼んでやって、参加できるような形でやってほしい。そこまで考えるべきだと思いますね。
五木 おっしゃることはよくわかるのですが、僕はオリンピックというのは、大きな意味を持たせなくていいのではないか、祭りとしてやったほうがいいという考えなんです。
曽野 まあ世の中には、私のようなわからない人間もいるということで(笑)。それもひとりひとり個々で、わからない者も多様に存在しなくちゃならない。
五木 いずれにしても、僕はいろいろな意味で変わっていく今の世界の先々を、何としてでも見たいという気持ちがあります。一日でも長生きして。
曽野 それは同感です。私も日本の繁栄がこの先どうなっていくのかを見てみたい。それにまだまだ知りたいこと、経験したいことが山のようにありますから。
五木 お互いに健康で、これからもたくさんの出会い、発見を糧としていきたいですね。