人生百年時代を迎えて“生きる”を問う「幸福寿命」 第4回 現在、100歳を超えている人々が約7万人弱。果たして、長寿は幸福なのか?長寿社会における幸福とは? 幸福な寿命とは?慶應義塾大学医学部教授であり、第19回日本抗加齢医学会総会会長の伊藤 裕先生と考えます。前回の記事は
こちら 対談 5.と6.を読む対談を終えて――伊藤 裕先生
伊藤 裕先生(いとう・ひろし)
慶應義塾大学医学部 腎臓内分泌代謝内科教授 第19回日本抗加齢医学会総会会長
京都大学医学部卒業。同大学大学院医学研究科博士課程修了。専門は内分泌学、高血圧、糖尿病、抗加齢医学。京都大学大学院医学研究科助教授等を経て2006年より現職。高峰譲吉賞、井村臨床研究賞など受賞多数。「メタボリックドミノ」概念の提唱者として知られる。
「幸せ」の方程式
私は、山田宗樹先生の大ファンでして、憧れの作家の方と、心ゆくまで対談できたことは、「幸せ」そのものでした。
いつ「幸せ」を感じたかというと、対談までワクワクしてあれこれ考えていた“あいだ”、そして、今こうして感想文を書いている“あいだ”にも感じています。私は、拙書『幸福寿命』において、「幸せ」は“あいだ”にあると書きました。
さて、対談では、生物の使命とそのための生命のルールのような話から始まり、山田先生には、ヒトという種の保存のためには、個体には有限の時間しか与えられず、そのため、なるべく長く生きたいという“本能”と、個体の集まりである社会の存続のために働く“理性”の“あいだ”に相克が生じることをお示しいただきました。
対談を通じて、私はやはり、個体の命が有限であるからこそ「幸せ」を感じられる、という気がしました。
寿命が有限であることを知っているのはおそらくヒトだけです。ですから、我々だけが「時」を“意識”できます。時間の矢とよばれる後戻りできない、過去、現在、未来の流れの中、一体、いつ我々は「幸せ」を感じるのでしょうか?
『今がサイコーに幸せ!』ということは大変すばらしいことです。しかし、「今」は定義できません。「今」は、最近に起こった「過去」を振り返り、辿りながら(記憶)、これから起こるであろう「未来」をあれこれ思い描いている(予想)曖昧な“あいだ”です。
『今が一番幸せだなあ〜』という感情は、過去に経験した、いろいろワクワクしたこと、楽しいことの積み重ねの結果、きっと、これからも今以上に好くなるに違いないという未来への期待をしっかりと持てた今に、湧き起こります。
それまでの幸せなことの積み重ね、つまり「積分値」が、今の「幸せ」感につながります。「幸せ」は、過去の幸せな気分の積分値である「幸せ記憶」が大きければ大きいほど、しっかりと感じられます。
しかし、楽しいと思えた過去の出来事でも、同じことが繰り返されていたのでは、私たちは飽きてしまい、幸せな気分になれません。過去の楽しい履歴を振り返って、それがどんどん増加してきたと思える時こそ、次に起こることへのワクワク感はとても大きくなります。
ある状態から別の状態に変わっていく時の変化分は、「微分値」と呼ばれます。自動車が加速される時、スピードの微分値はプラスとなります。過去の楽しいことがどんどんバージョンアップしてきた時、幸せの変化の「微分値」はプラスです。
その時に、これからもきっともっといい状態になるのだろう、つまり「微分値」はプラスを維持するに違いないと、安心できて、ヒトは『今が幸せ』と感じられます。ですから、「幸せ」は、有限な人生の中で作られる、過去の幸せ記憶の「積分値」であり、また「微分値」でもあります。
対談の最後に、山田先生は興味深い指摘をなさいました。『人間の意識は、身体の状態を映し出す、単なる影かもしれない、身体の状態が先にあって、それを後追いで自分の意識でまとめているだけで、意識が人を動かしているわけではない』と。
最新の脳科学でも、体を動かそうとする神経の興奮のほうが、体を動かそうとする意志を司る神経の興奮よりも、僅かながら、先んじていることが分かってきました。
「幸せ記憶」をいっぱい持つことで、私たちは、自動的にさらに幸せな行動を取ることができる「オートマタ(自動物)」なのかもしれません。我々は「幸せ」を感じることで、自動的にさらに「幸せ」になれるのではないでしょうか。
ですから、自分の人生のアルバムに自分が「幸せ!」とみなした写真をなるべくたくさん貼り付けるようにすることが「幸福寿命」を延ばすためには大切なのだと思います。