1300年にわずか2人。大阿闍梨として生きる使命、役割、覚悟とは
「護摩焚きは毎回真剣勝負」と語る塩沼大阿闍梨。願いの書かれた護摩木をまさに炎に投じようとする瞬間。密教の真言を朗々と唱える伸びやかな声は一朝一夕では出せない。絶え間ない日々の努力がうかがわれる。崖を登るのと人生は同じ。慎重に、大胆に、覚悟も必要
パチパチと音を立てながら勢いよく天を目指す護摩木の炎。密教の真言を唱える音吐朗々(おんとろうろう)たる声。厳かな熱気に包まれた護摩堂で、参詣者が真剣に見つめる先にあるのは塩沼亮潤大阿闍梨(だいあじゃり)の姿。
鷹ノ巣山を借景とした風光明媚な景勝に悠々と佇む福聚山慈眼寺は、訪れるだけでご利益がありそうな心安らぐ場所にありますが、仙台駅から車で小一時間。決して便がいいとはいえません。皆、日本全国からなぜこの地を目指してやってくるのか。その理由は、塩沼大阿闍梨の足跡、そして人となりにあります。
塩沼亮潤 (しおぬま・りょうじゅん)1968年宮城県仙台市生まれ。福聚山慈眼寺住職。99年大峯千日回峰行満行。小学生の頃、酒井雄哉大阿闍梨が比叡山千日回峰行に挑む姿をテレビで見て志す。2003年慈眼寺建立。護摩修法のLive配信あり。ラジオやSNS、書籍などで積極的に発信中。「真剣勝負の護摩焚きを見て、自分も頑張ろう!とポジティブな気持ちになっていただければ本望。自分の人生は自分で変えられるのだから」。成し遂げた偉業の一つが奈良県吉野の大峯山で行われる「大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)」。奈良県吉野山にある金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂から、24キロ先の山上ヶ岳頂上にある大峯山寺(おおみねさんじ)本堂までの往復48キロ、標高差1355メートルの山道を1000日間歩き続ける修行です。
毎日おにぎり2個と500mlの水、約4時間半の睡眠で行に臨む、まさに命を懸けた究極の荒行なのです。1999年、大峯山1300年間における2人目の満行者となった塩沼大阿闍梨。2000年に本山を降りて生まれ故郷である仙台に戻り、人々とともに生きるべく03年に慈眼寺を開山しました。
19歳で出家したときから、いつかは仙台でお寺を開くことが目標だったという塩沼大阿闍梨。「護摩修法も日々の暮らしも山歩きと一緒なんです。用心をしていないとこけるし、谷に落ちることもある。いろいろな状況を想定して、慎重に進まなければならない。でも、時には大胆な攻めに出ることも必要。それがうまくいくこともあれば、外れてしまうこともあります。失敗したらまたやり直せばいいのです。でも次のステップに行くためにはどうにかして登らないと! 崖の登り方を学んだからこそ、千日回峰行には人生の塩梅を教えてくれる効果もあるんだと、さまざまな経験を重ねて感じられるようになりました」。