【連載】阿川佐和子のきものチンプンカンプン
形見分けとなったお母さまのきものと積極的に向き合っていくことを決意した阿川佐和子さん。“チンプンカンプン”なことばかり……と迷走しながら、歩みはじめたきものライフを、小粋なエッセイとともに連載でお届けします。
連載一覧はこちら>>>「大島あそび」── 阿川佐和子
好評発売中の新刊『話す力 心をつかむ44のヒント』(文春新書)の出版記念パーティへ、自前で着付けた大島紬姿で。撮影/深野未季
母のきものを整理していたら、思いの外、大島紬がたくさん出てきたので驚いた。大島紬は高価なものというイメージがあったからなおさらだ。貧乏文士(父のことです)が、そうたやすく手を伸ばせるわけがない。昔はさほど高いものではなかったのか。
いちばん驚いたのは、「佐和子が生まれたときに買った」と畳紙にメモ書きの残された1枚を発見したときだ。墨色の地に大小の花の図柄があしらわれたきもので、「花文泥大島」というのだと、きもの編集者のカバちゃんが教えてくれた。もはや70年の年月を経てしっかり生き残っているヴィンテージものである。
これを着て『徹子の部屋』に出演したところ、黒柳徹子さんにたいそう褒められた。
「まあ、いい大島ね。ステキ。珍しい柄ね。ほんとステキ。いい大島よ、それ」
何度も褒められたので、さらにいいものに見えてきた。大事にしよう。
母のきもの以外にも、自分で購入した大島を2枚持っている。かつて私のきものの師匠はダンフミであった。彼女に連れられて銀座の現代風大島専門の呉服屋さんを訪れた折、ダンフミに奨められるまま、なんだかよくわからないうちに高価な大島を2枚も買ってしまった。ちょうど二人で出した本が思いの外売れたあとだったので、その勢いもあった。
高価なきものを買ったのだ。知人の結婚披露宴や正式なパーティなどにどんどん着ていこうと張り切っていたら、
「大島はあくまで紬なの。フォーマルな場に着ていっちゃダメよ」
師匠ダンフミに止められた。
なんで? じゃ、どこに着ていけばいいの?
「気軽なお食事会とかコンサートなどはいいと思う」
気軽なお食事会やコンサートには、それこそ気軽な洋服を着ていきたいものだ。当時はそう思っていたので、せっかく買ったモダンな大島紬はなかなか出番が訪れなかった。
しかし大島紬に袖を通してみると、その軽さ、シャリシャリ感、さらに身体に張りつくような着心地の良さに驚いて、一気に魅了される。誰もが大島に憧れる気持がよくわかる。長く箪笥にしまいこんでいた大島も、母が残してくれた大島も、この際、どんどん着ていこうではないか。
果敢に決心したはいいけれど、いざ着ていこうと思うたび、 「はて、今日の会食は気軽な会なのか。大島を着ても大丈夫なのか……」
そこでふと手が止まる。この線引きの按配をしっかり理解できるまで、いったいどれほどの経験を積めばいいのだろう。出かける支度をするたびに、いちいちカバちゃんにお伺いの電話をかけるわけにもいくまい。
そして過日、出版社のラウンジで開催された「アガワの連載対談三十周年と古稀を祝う会。足して百年記念」という、なぜそこで30と70を足す必要があるのかわからないけれど、とにかくお祝いをしてくださるというので、くだんの高価なるモダンな大島を着て出かけることにした。馴染みの編集者の皆様との立食パーティだ。気軽気軽。おおいに楽しもう。
そして気軽になりすぎた。用意していただいたケーキをカットする際に、きものの袖を生クリームにべちゃりとつけてしまった。あっと気づいたときは時すでに遅し。拭いて舐めてこすってみたものの、シミは容易に取れるものではなかった。
気軽で高価な大島紬ととことん仲良くなれるまでには、まだしばらくの修練が必要と思われる。
モダンな配色で現代的なデザインの大島紬は、スーツ感覚でパーティにも活躍。鋸歯(きょし)文様の袋帯できりりと装って。