ひ孫・北里英郎さんがご案内
生誕の地、小国で北里柴三郎の足跡を識(し)る
── 北里柴三郎記念館(熊本県阿蘇郡小国町)
北里柴三郎博士の故郷、熊本県小国町にある「北里柴三郎記念館」は、緑に囲まれた広い敷地に大正時代の由緒ある建物と真新しい施設が並び立ち、充実した展示と美しい景色が同時に堪能できる貴重な場。館長を務めるひ孫の北里英郎さんにご案内いただき、柴三郎博士の功績や人物像について聞きました。
2023年に新設されたドンネル館の内部から見た風景。正面は北里文庫で、渡り廊下で右手の書庫とつながっている。天井板は小国杉。館長の北里英郎さんが手にしているのは小国町に寄贈された新千円札で、5番目に印刷された、西日本で最も若い記番号の貴重な1枚。
北里英郎(きたさと・ひでろう)1987年慶應義塾大学医学研究科修了。博士研究員として1996年までフランス、ドイツ、チェコにて、ヒトパピローマウイルス(HPV)の研究を行う。帰国後、聖マリアンナ医科大学難病治療センター、北里大学医学部微生物学研究室を経て、北里大学医療衛生学部微生物学研究室教授(2004~2022年)。定年退職後、北里柴三郎記念館館長に就任。
予防医学のパイオニアにして、人望厚き「ドンネル」だった
大分県との県境にある熊本県小国(おぐに)町は、小国杉で知られる林業の町。緑濃い山あいにある「北里柴三郎記念館」には、柴三郎博士が私財を投じて建てた図書館「北里文庫」、帰省時の居宅と賓客をもてなす場を兼ねた「貴賓館」、移築された生家の一部などがあり、見学しながらその足跡を辿ることができます。
北里文庫と同時に完成した貴賓館。小国杉の柾目(まさめ)板を用いた和風建築。2階から博士が愛した涌蓋(わいた)山や里山の風景が一望できる。
貴賓館の外観。右奥は北里文庫。
涌蓋山をかたどった屋根の形が特徴的なドンネル館。
また、2023年誕生した「ドンネル館」では、シアタールームで20分程度の映像を見ることで博士の偉業や人柄が端的かつ立体的にわかり、他の施設見学の楽しみもより深まります。
柴三郎博士のひ孫で館長を務める北里英郎さんにひと通り施設をご案内いただいた後、お話を伺いました。
博士の偉業は、破傷風の血清療法という世界初の伝染病の治療法の確立、ペスト菌の発見など、枚挙に暇(いとま)がありませんが、最大の功績は「未病」のうちに病気を予防することを生涯のテーマにした点だと英郎さんは言います。
「柴三郎が東大の学生時代に書いた『医道論』には、人民に命の尊さや健康保持の意義を理解させ、病を未然に防ぐことが、治療よりむしろ大切な医者の務めだと書かれています。上下水道の整備や検疫・公衆衛生を盛り込んだ伝染病予防法の制定に尽力する一方、全国各地に出かけては一般の人々を前に演説し、『結核退治絵解(えとき)』(下図)というイラスト入りのポスターを考案するなど、伝染病に対する正しい知識の啓蒙に努めました」
『結核退治絵解(えとき)』(北里柴三郎記念博物館所蔵)
一方、人柄はというと、この施設の館名にもなっている「ドンネル」(ドイツ語で「雷」の意)があだ名だったことからわかるとおり、仕事に厳しい雷おやじのイメージが定着していますが、英郎さんはこう語ります。
「弟子たちには雷を落としても、一歩外へ出ると彼らのミスもすべて責任を負う親分肌な性格でした。政府とぶつかり国立伝染病研究所を辞めた際には、研究員の3分の2が辞職し、新たに立ち上げた北里研究所に入ったそうです。それだけ皆に敬愛されたから、優秀な弟子が大勢育ったのだと思います」