つらくて不安なあなたに伝えたい「私の介護体験」第3回「絶対に富山を離れたくない」「私と理恵の人生は別」──お母様の強い意向を最優先し、親戚や地元の人々の協力のもと、遠距離介護を7年間続けている柴田理恵さん。95歳のお母様は、笑顔で「お母さん、何したい?」と聞いてくる一人娘に、今日も生きる意欲をかきたてられています。
前回の記事はこちら>>柴田理恵さんのご母堂・柴田須美子様は2025年1月31日にご逝去されました。心よりお悔やみ申し上げます。
※本記事の取材は、2024年12月に行われたものです。
“東京──富山”遠距離介護を可能にした母の頑張りと周囲の支え
柴田理恵さん(俳優・タレント)

柴田理恵(しばた・りえ)さん 1959年生まれ。富山市八尾町出身。明治大学卒業後、劇団東京ヴォードヴィルショーを経て、84年6月に久本雅美らと劇団WAHAHA本舗を創立。過激でありながらも、ただひたすらに楽しい観客を巻き込んだステージが人気。劇団は今年40周年を迎えた。公演以外にもバラエティからドラマ、映画、ラジオなど幅広い活動をしている。介護関係の著書に『遠距離介護の幸せなカタチ』(祥伝社)ほか。
お母さん、家に帰りたかろ?だったらリハビリを頑張ろう
富山の実家で一人暮らしの母・須美子さんが突然倒れたのは2017年10月半ばのことでした。腎盂炎と敗血症を起こし、3日後にようやく病院に駆け付けた理恵さんが目の当たりにしたのは、寝たきりで意識朦朧とした母の姿。「お母さん! 理恵だよ、わかる?」と呼び掛けても、「あーうー」と理解できない様子。医師からは「延命治療はどうしますか?」と尋ねられ、理恵さんは「親ってこんなに簡単に死んじゃうものなのか」と覚悟したといいます。
──2か月余り後。なんと実家には、おせち料理を前に嬉しそうに日本酒で乾杯するお二人の姿がありました。年末年始の一時帰宅が認められたのです。
「すごい回復力でしょう? あれから母はリハビリをものすごく頑張ったんです。会話ができるようになったとき、“お母さん、何したい? 家に帰りたかろ? お正月、家で酒飲みたかろ? だったら目標に向かって頑張ろう”って。お酒が大好きな母への“ニンジン作戦”は大成功でした(笑)」(理恵さん)。
富山で生まれ育ち、小学校の教員を40年近く務めた須美子さん。退職後は子どもたちにお茶や謡を教え、婦人会や地域活動の中心となり、地元の人々とのつながりを何より大切にして生きてきました。
「母は昔から自分の考えをしっかり持っていて、それをはっきり言葉に出していう人。“ここ(富山)は絶対に離れたくない”“私の人生は私のもの、あんたの人生はあんたのもの”“仕事が一番大事。親のために自分の仕事を疎(おろそ)かにしてはいけない”など。だから母を東京に引き取って一緒に暮らす選択肢は……どう考えてもなかったですね」。