伊藤 110歳を超える“スーパーセンテナリアン”と呼ばれる超高齢者では、このような感情が自然に芽生えてくるようです。百寿者の研究者によると、100歳を超えると誰もが自分のことを幸せだと思っているけれど、100歳未満の人は自分が元気に充実した毎日を過ごせていることが幸せだと感じている。
ところが110歳を超えると感謝することが幸福感につながってくると。私も111歳の男性にインタビューする機会があり、同じ質問をしてみたのですが、そのかたも「みんなに大事にしてもらえるから幸せだ」とおっしゃっていました。
また『百年法』の中で、不老不死となって長生きした人が「これ以上自分のために生活したら頭がおかしくなってくる」と語る場面がありましたけれど、あの言葉はとても腑に落ちました。
山田 人間には自尊心がありますから自分のことを大事にするのは否めないけれど、自分のためにできることはたかが知れています。
伊藤 そう、たかが知れている。そして、自分に熱くなることに飽きてくるのですよね。
山田 まさに飽きてくるのです。さらに虚しい思いも感じるようになります。やはり誰かの役に立つことのほうが喜びは深い。こうした体験が人生にまったくないのはしんどいだろうなと想像します。
伊藤 年を重ねるに従い、ほかの人たちが喜ぶ顔が見たくなるのは人間の真実かもしれません。
山田 ええ。満ち足りた気持ちも他人に何かをしてあげて初めて得られるところがありますよね。私の父は80歳になりますが、毎朝通学路に立って小学生を見守ったり、頼まれもしないのに近所の草刈りをしたり、飽きずにやっているそうです。
伊藤 拙書『幸福寿命』でも、生きている間ずっと幸福であることがいちばん大切で、その幸せとはたぶん人との“あいだ”にあるものをいうのだろうと書きました。自分の中で完結するものに快感はあるかもしれないけど、それを“幸せ”とは呼ばないのではないかと。
慶應義塾大学医学部 腎臓内分泌代謝内科教授 第19回日本抗加齢医学会総会会長 伊藤 裕先生