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倉本 聰さん12の語録──『海の沈黙』公開によせて反骨の創作者に迫る

2024.12.16

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「6歳の頃から、父に毎週朗読を義務づけられた宮澤賢治。それで身についたリズム感が、自分の創作の力になっています」

Q9. 人格形成に影響を与えたのはどの時代でしょう?

A. 素地が作られたのはやはり、麻布中学から高校の時代でしょうね。中学生から高校1年生くらいまで、かなり勉強はできたんですよ。でも高校2年生から芝居にハマって、成績はどんどん落ちていった。昭和22(1947)年、国民学校を卒業し中学へ進む直前になって、突然、教育基本法・学校教育法が交付され、慌ててリサーチして受けたのが麻布でした。着ていく服がなく、親と一緒の最終面接に、ボロボロの師範学校の制服を着ていったのですが、それでもなんとか合格してしまった。おやじは「あんなボロ服でも通してくれる、麻布という学校は本物だ!」といたく感激していましたね。第一高等学校(旧制一高)を狙っていた子どもたちが学区制の変更で麻布に多く揃ったので、僕らの学年は相当優秀でした。そのときから進学校に変わっていったんです。対して、1学年上まではヤンチャばかり。先輩方から呼び出され、僕らはよくボコボコにされていました。対抗しましたけどね。そんな時代でした。

でもやはり麻布には面白い仲間が多かったです。西武鉄道グループの元オーナーの堤 義明、彼とは今も親しくつきあっています。あとは芸能評論家の矢野誠一。今残っているのは、もうそのくらいでしょうかね。

Q10. お父様の存在はどのようなものですか?

A. おやじ(山谷太郎)が死んだのは昭和27年、僕がまだ高校2年の冬のことでした。5、6歳の頃の影響なのですが、おやじの匂いを今も覚えているんです。山に連れて行かれてたからなのでしょうか、枯れ草と焚き火の匂い。そして、親に守られていると感じる絶対的な安心感。岡山の旧制六高で柔道に打ち込んだおやじは腕っ節も強くて、ケンカが趣味。おふくろはいつもハラハラしていたようです。そういう人間であった一方で、筋金入りのクリスチャンでもあり、水原秋桜子門下の俳人でもありました。僕が読み書きを覚えた6歳から、おやじに義務づけられたのは宮澤賢治の童話集の朗読。「意味はわからなくていい。声に出して読んで、賢治の文章の心地いいリズム感を身につけなさい」。

それはその後の自分の創作において、本当に力になりました。僕はシナリオを書くとき、セリフだけではなく、ト書にも徹底してリズム感を加えます。原体験には、おやじに仕込まれた宮澤賢治の朗読があるのです。


「おやじは借金以外、何も遺さないで死んだな」と兄貴と言っていたのですが、30歳になった頃、「そうではない。宮澤賢治の朗読からケンカが娯楽だったことを含めた生き方まで、たくさんの精神的遺産を遺してくれていたんだ」と気がつきました。それを『北の国から』で黒板五郎が純と蛍に残す遺言の中に書いたんです。「俺にはお前らに遺してやるものが何もない でもお前らにはうまくいえんが 遺すべきものはもう遺した氣がする」。僕もおやじに十分遺してもらっていたのです。

Q11. お母様に対する思いをお聞かせください。

A. おふくろは、僕が殺してしまったんです。おやじが早く死んでしまったので、裏千家の茶道師範をやってお茶を教えながら、僕たちきょうだいを育ててくれました。でも無理がたたり、そのうち体を壊してしまって。僕が脚本の仕事で食べられるようになっていたので、「今度は僕がおふくろを養う番だから、もうお茶はやめたほうがいい」と強く言って、生きがいだったお茶を取り上げてしまったんです。よかれと思ってしたことでしたが、結果的におふくろは鬱状態になって亡くなりました。おふくろの死に関しては、今でも非常に罪の意識と忸怩たる思いがあります。

おやじへの感謝は『北の国から』、おふくろへの贖罪は『前略おふくろ様』や『りんりんと』などの作品に書いてきました。実は今日着ている服は、おふくろのきものを洋服に仕立て直したものなんですよ。10着くらい持っていますが、どれも肌触りがいいんです。

Q12. 創作に向かう、今の原動力は?

A. 怒りですね。怒りのパッションがないと、ものが書けない嫌な性格になってしまった(笑)。例えば今回の『海の沈黙』。昨日まではみんなが「美しい!」と誉めそやしていた壺なのに、永仁時代のものでなかったからといって、途端にそっぽを向かれるのはいいがかりとしか思えないわけです。僕にはその理不尽さがどうにも我慢できない。そこらへんへの腹立ち、矛盾への気づきがこの作品を書かせました。怒りを原動力に、書いておきたいと思うものはほかにもまだ山ほどあります。 世の中の矛盾やごまかしといったところに意識が向かうようになったのは、富良野に行ってからでしょうね。移住した当初、廃屋を見て回ったんです。屋根だけが残された離農者の廃屋に漁村の廃屋、そして炭鉱の廃屋……。かつて、日本の繁栄を支えた基幹産業に従事した人たちが見捨てられ、その家が廃屋になっている。それを見て作ったのが、『悲別』という芝居です。 もともとは温厚な性格だったのに、北海道の自然の中に住んで世の中の矛盾やごまかしがそれまで以上に見えるようになってからは、“瞬間湯沸かし器”といわれるようになってしまった(苦笑)。僕の中では決して瞬間ではなくて、着火してから爆発するまでプロセスがある。怒りの三段論法なんですが、女房や娘にも僕が突然怒り出すように見えるらしいです。でも、女房に対しては最初から降参しています。家の中で一番強いのは誰か?もちろん女房です(笑)。

美とはいったい何かを問いかける『海の沈黙』

 2024年11月22日、全国公開となった『海の沈黙』。60年間構想を練っていた倉本さんの原作・脚本で、監督は若松節朗。実話である「永仁の壺事件」をヒントに贋作を取り上げ、美とはいったい何か、誰が何をもって決めるのか、と問いかける。孤高の画家・津山竜次を演じる本木雅弘のほか、小泉今日子、中井貴一、石坂浩二、仲村トオル、清水美砂たち実力派俳優が演じる痛切な人間模様は、観る人の心と価値観を揺さぶるに違いない。

この記事の掲載号

『家庭画報』2025年01月号

家庭画報 2025年01月号

撮影/伊藤彰紀〈aosora〉 取材・文/小松庸子

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