カルチャー&ホビー

なぜ私たちは写楽や歌麿、北斎たちの浮世絵に惹きつけられるのか?

2025.02.17

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〔特集〕令和に受け継がれる文化と知恵 ブーム到来、「江戸」の底力 蔦屋重三郎など多士済々だった江戸時代中期から後期は、訪れた外国人も「日本人はよく笑う」と評するほど明るい時代でした。現代の私たちがもっと元気に楽しく過ごせるヒントは、そんな江戸の人々の暮らしにありそうです。芸術や食文化、そして生活の知恵などから、今に通じる江戸の心意気を探っていきます。

特集「江戸の底力」の記事一覧はこちら>>>

江戸のブームは現代の「写し鏡」
浮世絵に惹かれる理由

厚紙などを土台にはぎれを重ねて浮世絵や歌舞伎の登場人物などをかたどり、綿を入れて厚みを持たせて作る「江戸押絵羽子板」は江戸時代からの伝統工芸。協力/むさしや豊山

なぜ私たちは写楽や歌麿、北斎たちの浮世絵に惹きつけられるのでしょうか。その理由は、構図や多色摺りの鮮やかさはもちろんのこと、画題の背景に「今」を感じるところにもありそうです。

「会いに行けるアイドル」誕生

役者絵と美人画の大首絵

解説/安村敏信

浮世絵黄金期の東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)の役者絵、喜多川歌麿(きたがわうたまろ)の美人画は、それぞれのおはことして知られていますが、共通点は上半身や胸像の大首絵(おおくびえ)であること。大首絵はいわばブロマイドのような役者絵から生まれました。

きものの紋を見ないと誰を描いているのかわからなかった役者絵は葛飾北斎(かつしかほくさい)の師匠である勝川春章(かつかわしゅんしょう)によって「役者似顔絵」となり、やがて顔だけでわかる工夫がなされた、写楽に代表される「役者大首絵」へと進化します。

美人画で素人の女性が描かれるようになるのは明和(めいわ)年間(1764~1772年)。その頃、庶民の間で名所を訪ね、茶店に立ち寄ることがレジャーとしてブームになるのですが、やがて茶店の看板娘の美貌が評判を呼び、大フィーバーに。吉原の花魁(おいらん)にはお目にかかれないが、茶店の看板娘なら……。「会いに行けるアイドル」の誕生です。

推し活 ランク付け

誰かを推し、モノや人、料理屋などをランク付けする。江戸の人々は私たちと同じ。美人画はきものの取り合わせの参考として女性たちも買い求めた。いわばファッション誌のような役割を担ったのである。

東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives

歌麿《高名美人六家撰 難波屋おきた》
江戸の6人の高名な美人を大首絵で表したもの。寛政5(1793)年に、画中に遊女以外の女性の名を記すことが禁じられたので、左上に判じ絵として名を記す。「菜ガ二把(なにわ)、矢(や)、沖(おき)、田(た)」で、難波屋おきたとなる。彼女は浅草の水茶屋の看板娘。

●喜多川歌麿【1753?~1806年】
蔦屋重三郎と組んで、絵入狂歌本、美人画で活躍。とりわけ美人大首絵を創案し、女性の本質に迫る表現で、浮世絵の黄金期をつくった功績は大きい。

東京国立博物館蔵 Image:TNM Image Archives

写楽《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》
歌舞伎の『恋女房染分手綱』三立目、京の四条河原で一平を襲い金子(きんす)を奪う江戸兵衛を描く。背景を黒雲母摺りにし、鷲鼻の顔できものから両手を出して手のひらを開くのだが、その形が異様なので強烈な印象を与える。悪人らしいにらみをきかせた表情が効果的だ。

●東洲斎写楽【生没年不詳】

寛政6(1794)年、雲母(きら)摺り背景の役者大首絵を蔦屋から突然出版し、世間を驚かせるが、あまりにも役者の個性を出しすぎて、わずか10か月余りで姿を消す。謎の絵師とされる。

撮影/本誌・西山 航

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